鬼神の100番目の後宮妃〜偽りの寵姫〜
 大広間では、すでに暁嵐を迎える準備が整っていた。自分に向かって平伏する大勢の家臣たち、その向こうの後宮の妃たちを横目に玉座に向かう。
 暁嵐は玉座に座り、凛風がいるであろう場所にさりげなく視線を送った。
 彼女と会うようになってから、毎日そこを見る癖がついた。誰にも気づかれないように一瞬だ。
 彼女は、暁嵐が面を上げる合図をしてもいつも頭を下げたまま。だから夜に会っている人物が皇帝だということに気が付かないのだろう。
 今朝も凛風の席を見た暁嵐は、そこがぽっかりと空いているのに気がついて、眉を寄せた。
 妃が朝の謁見を欠席するのが許されるのは、皇帝の寝所に召された次の日か、病の時……。
 暁嵐はそこを見つめたまま、昨夜の彼女の様子を思い出す。
 昨夜の彼女は、自分の名を見て感激して泣いていた。頬がいつもより蒸気しているように思えたものの、具合が悪そうではなかったが……。

「……か、陛下。いかがなさいましたか?」

 低い声で丞相に尋ねられて、暁嵐は今が謁見中だということを思い出す。暁嵐の合図がなければ、皆平伏したまま、顔を上げることができない。

「いや、大事ない」

 咳払いをして、皆に向かって口を開く。

「面を上げよ」

 その後はいつものやり取りを滞りなくこなしていく。
 だが、心はぽっかりと空いた凛風の席に向いたままだった。
 なぜ彼女は謁見を欠席している?
 これも刺客としての策に関わることなのだろうか?
 そんな疑問が頭に浮かぶが、それは些細なことのように思えた。
 それよりも今この時、彼女が無事かどうかが気にかかる。
 先ほど、自分には関係ないと切り捨てたはずの感情が、またむくりと頭をもたげるのを感じた。
 彼女の身になにかあったのでは、という考えが頭をよぎる。皇太后側の人間は、皇太后の指先ひとつで瞬時に消されることも珍しくない。

「陛下、今宵は一のお妃さまにお渡りいただきます。よろしいでしょうか」

 自分に向かって、いつもの質問をする丞相の顔をじっと見て、暁嵐は考える。
 百の妃がなぜこの場にいないのか。彼女は無事なのかと尋ねたい衝動に駆られるが拳を作りどうにか耐えた。
 凛風の思惑と状況を把握できていないうちに公の立場で彼女に接触するべきではない。それこそ皇后の思う壺だ。

「陛下?」

 いつもより返答が遅い暁嵐に丞相が期待を込めた目で問いかける。
 暁嵐は首を横に振った。

「いや、私は今宵どの妃も所望せん」

 言い切って立ち上がり、玉座を降りた。大極殿を出て足早に外廊下を歩く。
 付き添いの従者に内密で凛風の様子を尋ねようかと考えるが、やはり思い留まった。
 彼女が無事であるならば、今宵も湯殿にやってくる。日が落ちればわかることをわざわざ今確認する必要はない。
 朝日を見上げて暁嵐は自分自身に言い聞かせる。
 たった一日だけのこと。
 いつも忙しく政務をこなしているうちに、あっという間に日は暮れる。
 ――だが。
 どうしてかそれが、今は途方もなく長く感じた。
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