鬼神の100番目の後宮妃〜偽りの寵姫〜
恐怖
丞相から進言があると聞かされたのは、暁嵐が凛風を後宮まで送った次の日のことだった。
皇帝が家臣からの進言を聞く時は、すべての家臣を集めた黄玉の間と決められている。一部の家臣のみからの意見を皇帝が聞き、偏った政治を行うのを避けるためだ。
その会に向かう直前、秀宇が帰還した。
「暁嵐さま、ただいま戻りました」
久しぶりに私室へ姿を見せた側近に暁嵐はまず労いの言葉をかける。
「戻ったのか。ご苦労だった。まずは身体を休めよ」
「ありがとうございます。ですが、それより先に急ぎ郭凛風についてのご報告をさせていただきたいと思います」
腰掛けに身を預けて頷くと、秀宇が跪き口を開いた。
「結論から申し上げますと、百の妃が刺客で間違いございません。郭凛風には、腹違いの妹がおりまして、もともとはそちらの娘が後宮入りするため大切に育てられていたようです」
「妹?」
「はい。郭凛風は、郭凱雲の亡くなった前妻の子、後妻である今の奥方に厭われ下女以下の生活をしていたようです。母屋で寝起きすることも許されず。馬小屋で寝起きしていたと……郭家では彼女に話しかけたり親切にするのは御法度だったようです」
その報告に暁嵐の胸は痛んだ。だが内容については納得だ。彼女は暁嵐に怯えながらも黒翔にははじめから心を開いていた。馬小屋で寝起きしていたから、馬の扱いを知っていたというわけか。
「ですから皆、当然妹が後宮入りするものと思っていたようですが、どうしてか直前になって姉に代わった。都からの使者が帰ったあとすぐに決まったそうです」
後宮入りする娘は家柄を基準に選ばれる。
もともとは妹のつもりだったとしても直前になって姉に変更になることくらいはあるだろう。
だとしても馬小屋で寝起きさせていた娘を……というのはどう考えても不自然だ。
娘を後宮入りさせるのは一家にとって誉なこと。
さらにその娘が寵愛を受け鬼の子を産めば一族の安泰は約束される。
どの家も一家の中で一番美しい自慢の娘を差し出すのだ。
自慢の娘どころかのけ者にしていた娘を差し出すということは、郭家が皇帝の寵愛を望んでいないというだけでなく……。
「問題は郭凛風が後宮入りした後です。郭家の召使いによると、凱雲の妻は、残った妹に未だ後宮入りの準備を怠っていないということで、皆首をひねっていると……。後宮入りしないならと持ち込まれた縁談を片っ端から断っているそうです。まるで、妹も近い将来後宮入りするかのようだ、と言う者もいるようです」
つまりは。
虐げて育てた姉の凛風を犠牲にして功績を上げ、皇太后に取り立ててもらった後、新皇帝の後宮へ妹を入れるつもりだということか。
一の妃にしてやるという密約があるのかもしれない。
――いずれにせよ、凛風は捨て駒というわけだ。
暁嵐は奥歯を噛みしめた。
腹の奥底から、気持ちの悪いどす黒い怒りが込み上げてくるのを感じた。
凍てつく青い炎のようなこの怒りは、皇太后に対するものであり、自分に対するものでもある。
やはり彼女は、自分と皇太后との間の権力争いに巻き込まれた犠牲者だ。
暁嵐が早く皇太后と決着をつけていれば、彼女は刺客などという役割を負うことはなかった。
筆を持つ細い手首と紙を見つめる真剣な眼差しが脳裏に浮かんでは消えた。
さすがは長くこの国に寄生し、富を貪り続ける皇太后だ。
凛風のような娘を送り込めば、暁嵐が無下にできないと踏んだのだろう。
そしてその読みは見事にあたった。
「状況ははっきりしました。後はこちらにお任せくださいませ」
秀宇はそう締めくくる。その進言を暁嵐は即座に拒んだ。
「いや、お前はなにもするな。俺が決着をつける」
「決着をつけるとは……どういうことにございますか? まさかまだお会いになるとでも?」
その問いかけに暁嵐が沈黙すると、秀宇は青筋を立てて声をあげる。
「わ、私は承服しかねます! 暁嵐さま、あなたさまのお力はよく存じ上げておりますが、このまま皇后の策に乗るのは危険です」
秀宇の意見はもっともだ。結論が出た今、これ以上深入りするのは得策ではない。
皇帝としては、ここで手を引き彼に任せるべきだとわかっている。
だがそれを暁嵐はどうしても受け入れることはできなかった。
「暁嵐さま、どうか私にお任せくださいませ! 郭凛風が刺客であることは間違いないのです。この後は、どのような手段を用いてでも郭凛風から皇后の名を吐かせて……」
「やめろ! お前は絶対に手を出すな!」
強く彼の言葉を遮ると、秀宇が目を見開いた。
たとえ誰であっても、それが国のためだとしても、彼女を傷つけることは許さない。幼少期からずっと支えてくれた信頼のおける側近にさえ、激しい怒りを覚えるくらいだった。
それほどまでに、彼女への想いは暁嵐の中に深く入り込んでいる。
驚愕の表情で固まる側近を横目に、暁嵐は立ち上がる。
「時間だ、俺は行く。いいな秀宇。さっきの言葉を忘れるな。この件の決着は俺自身がつける」
ねじ伏せるようそう言って部屋を出た。
皇帝が家臣からの進言を聞く時は、すべての家臣を集めた黄玉の間と決められている。一部の家臣のみからの意見を皇帝が聞き、偏った政治を行うのを避けるためだ。
その会に向かう直前、秀宇が帰還した。
「暁嵐さま、ただいま戻りました」
久しぶりに私室へ姿を見せた側近に暁嵐はまず労いの言葉をかける。
「戻ったのか。ご苦労だった。まずは身体を休めよ」
「ありがとうございます。ですが、それより先に急ぎ郭凛風についてのご報告をさせていただきたいと思います」
腰掛けに身を預けて頷くと、秀宇が跪き口を開いた。
「結論から申し上げますと、百の妃が刺客で間違いございません。郭凛風には、腹違いの妹がおりまして、もともとはそちらの娘が後宮入りするため大切に育てられていたようです」
「妹?」
「はい。郭凛風は、郭凱雲の亡くなった前妻の子、後妻である今の奥方に厭われ下女以下の生活をしていたようです。母屋で寝起きすることも許されず。馬小屋で寝起きしていたと……郭家では彼女に話しかけたり親切にするのは御法度だったようです」
その報告に暁嵐の胸は痛んだ。だが内容については納得だ。彼女は暁嵐に怯えながらも黒翔にははじめから心を開いていた。馬小屋で寝起きしていたから、馬の扱いを知っていたというわけか。
「ですから皆、当然妹が後宮入りするものと思っていたようですが、どうしてか直前になって姉に代わった。都からの使者が帰ったあとすぐに決まったそうです」
後宮入りする娘は家柄を基準に選ばれる。
もともとは妹のつもりだったとしても直前になって姉に変更になることくらいはあるだろう。
だとしても馬小屋で寝起きさせていた娘を……というのはどう考えても不自然だ。
娘を後宮入りさせるのは一家にとって誉なこと。
さらにその娘が寵愛を受け鬼の子を産めば一族の安泰は約束される。
どの家も一家の中で一番美しい自慢の娘を差し出すのだ。
自慢の娘どころかのけ者にしていた娘を差し出すということは、郭家が皇帝の寵愛を望んでいないというだけでなく……。
「問題は郭凛風が後宮入りした後です。郭家の召使いによると、凱雲の妻は、残った妹に未だ後宮入りの準備を怠っていないということで、皆首をひねっていると……。後宮入りしないならと持ち込まれた縁談を片っ端から断っているそうです。まるで、妹も近い将来後宮入りするかのようだ、と言う者もいるようです」
つまりは。
虐げて育てた姉の凛風を犠牲にして功績を上げ、皇太后に取り立ててもらった後、新皇帝の後宮へ妹を入れるつもりだということか。
一の妃にしてやるという密約があるのかもしれない。
――いずれにせよ、凛風は捨て駒というわけだ。
暁嵐は奥歯を噛みしめた。
腹の奥底から、気持ちの悪いどす黒い怒りが込み上げてくるのを感じた。
凍てつく青い炎のようなこの怒りは、皇太后に対するものであり、自分に対するものでもある。
やはり彼女は、自分と皇太后との間の権力争いに巻き込まれた犠牲者だ。
暁嵐が早く皇太后と決着をつけていれば、彼女は刺客などという役割を負うことはなかった。
筆を持つ細い手首と紙を見つめる真剣な眼差しが脳裏に浮かんでは消えた。
さすがは長くこの国に寄生し、富を貪り続ける皇太后だ。
凛風のような娘を送り込めば、暁嵐が無下にできないと踏んだのだろう。
そしてその読みは見事にあたった。
「状況ははっきりしました。後はこちらにお任せくださいませ」
秀宇はそう締めくくる。その進言を暁嵐は即座に拒んだ。
「いや、お前はなにもするな。俺が決着をつける」
「決着をつけるとは……どういうことにございますか? まさかまだお会いになるとでも?」
その問いかけに暁嵐が沈黙すると、秀宇は青筋を立てて声をあげる。
「わ、私は承服しかねます! 暁嵐さま、あなたさまのお力はよく存じ上げておりますが、このまま皇后の策に乗るのは危険です」
秀宇の意見はもっともだ。結論が出た今、これ以上深入りするのは得策ではない。
皇帝としては、ここで手を引き彼に任せるべきだとわかっている。
だがそれを暁嵐はどうしても受け入れることはできなかった。
「暁嵐さま、どうか私にお任せくださいませ! 郭凛風が刺客であることは間違いないのです。この後は、どのような手段を用いてでも郭凛風から皇后の名を吐かせて……」
「やめろ! お前は絶対に手を出すな!」
強く彼の言葉を遮ると、秀宇が目を見開いた。
たとえ誰であっても、それが国のためだとしても、彼女を傷つけることは許さない。幼少期からずっと支えてくれた信頼のおける側近にさえ、激しい怒りを覚えるくらいだった。
それほどまでに、彼女への想いは暁嵐の中に深く入り込んでいる。
驚愕の表情で固まる側近を横目に、暁嵐は立ち上がる。
「時間だ、俺は行く。いいな秀宇。さっきの言葉を忘れるな。この件の決着は俺自身がつける」
ねじ伏せるようそう言って部屋を出た。