鬼神の100番目の後宮妃〜偽りの寵姫〜
「凛風!!」

 呼びかけに、反応しなくなった凛風を暁嵐は抱きしめる。
 真っ青な肌と真っ赤に染まる血に、身体の奥底から激しい怒りが込み上げる。身体中の血が煮えたぎる。
 彼女を追い詰めたものすべてが憎くてたまらなかった。
 このまま世界の刻を止め、永久にこうしていようか。そんな考えが頭に浮かぶ。
 自分と彼女以外がどうなろうとかまわない。
 だがどこかからか聞こえる怒号のようなものに、暁嵐は目を開く。きな臭いにおいが漂っているのは、火が放たれたのかもしれない。
 その前に、凛風を追い詰めた者たちに、その報いを受けさせてやる。
 暁嵐は凛風を寝台に寝かせ、彼女にだけ刻を止める特殊な術をかける。血に染まる唇に口づけ、立ち上がった。
 部屋を横切り、寝所の扉を蹴り破ると、池にかかる橋で家臣が従者と争っていた。
 暁嵐の姿を見て、家臣は驚愕の表情を浮かべた。
 てっきり暁嵐は喉を刺されて虫の息だと思っていたのだろう。いの一番に乗り込んで手柄を立ててやろうとしたところ、扉を蹴破り出てきたことに驚いているのだ。

「へ、陛下……?」

 目を見開き言葉を失っている。今宵暁嵐に刃を向ける皇太后側の家臣として、彼がここにいることは予想通り。
 彼は前帝が病に倒れた頃から皇太后の愛人になったと噂されていた男で、それによって今の地位を得た。皇太后の助けがなければ、要職につけなかった男だ。

「ああ、な、なぜ……」

 泡を吹いて問いかける彼に、無表情で手のひらを向ける。

「へ、陛下……おおお許しを……」

 この期に及んで懇願する彼を、心底愚かだと思いながら火を放った。
 燃え上がる男の断末魔を聞きながら、暁嵐は離宮を足早に闊歩して、旗を掲げている家臣たちを次々と撃破する。
 数はそれほど多くなく、当初の予想と外れている者はいない。
 彼らの懇願を無視して炎を放つたびに、後悔の念に駆られた。
 国の安定も、皇帝としての正しい在り方もすべて無視してはじめからこうしていればよかったのだ。
 人の分際で自身に歯向かうこと自体が間違っているのだから。もっと早くこうしていれば凛風は傷つかずに済んだ。

「あ、兄上……な、なぜ!?」

 声が聞こえて暁嵐は足を止める。振り返ると愚弟、輝嵐がいた。
 臆病者で甘やかされて育った彼は、いつもは母の後ろに隠れ、言う通りにしているだけ。このような場にはめったに姿を見せないが、さすがに次期皇帝となるためには、ここにいる必要があったということだろう。
 彼の後ろにはこの計画の黒幕である皇太后が、輝嵐と同様に驚愕して暁嵐を見ていた。

「お主……」

 暁嵐の姿を見て、状況を察したようだ。悔しげに吐き捨てた。

「くそ、あの女! 失敗したな! やはり、あんな小娘に任せるのではなかった。あの娘……」

「義母上、あなたの負けだ。俺はこの長い争いに幕を下ろす」

 そう言って手のひらを向けると、彼女は「ひっ!」と声をあげて、息子の陰に隠れようとする。が、それを輝嵐が拒否した。
 お互いがお互いの身体に隠れようとして揉み合いになっている。

「ど、どういうことですか!? は、は、母上が、ぜ、絶対に大丈夫だと言うから来たのに……!」

「うるさい!! なんとかせい! お前も鬼じゃろう!」

「そんなこと、い、言ったって……!」

 醜く争う親子を暁嵐は心底軽蔑する。弟と血が繋がりがあるということすら、虫唾が走る思いがする。一刻も早くこの存在を消し去りたい。
 ふたりに向かって一際大きな火を放つと同時に背を向けた。
 そしてまた結界を張った寝所へ戻る。
 寝台の上で目を閉じる凛風をそっと抱き上げ、外に出て夜の空に飛び上がり、星空を背に燃え上がる離宮を見下ろした。
 建物が崩れ落ちる音に、あちらこちらからあがる怒号と悲鳴。赤い目でそれらを見ながら、暁嵐は自らの心がどす黒い怒りの感情に塗りつぶされていくのを感じていた。
 欲深き愚かな人間どもめ。
 魑魅魍魎から守られねば生きられぬくせに、権力に寄ってたかり、暁嵐の愛するものを傷つけた。
 卑しくて忌々しい存在だ。
 目を閉じると、国の全土が見渡せる。結界の先には魑魅魍魎が、人を喰いたいと涎を垂らして待っている。
 暁嵐は目を開き腕の中の凛風の頬に口づける。荒ぶる心のまま凛風に問いかける。

 凛風、お前はどうしたい?

 お前を苦しめた愚かな者どもにどのように報いを受けさせよう?

 結界を外し、魑魅魍魎に喰われて、じわりじわりと死滅してゆくのをここでともに眺めようか。

 それとも、俺自身の手で国土のすべてを焼き尽くすか。

 身体を駆け巡り行き場を探す怒りの感情が、より残酷な方法を求めている。この世をどのような方法で破滅させれば、この怒りは収まるのか、自分にもわからない。
 その時。

 ――暁嵐さま。

 柔らかな凛風の声を聞いた気がして、暁嵐は腕の中に視線を落とす。彼女はぴくりとも動かないけれど。

 ――暁嵐さま。己の心のままに生きられる世を作ってくださいませ。

 その声は、怒りに支配され荒ぶる暁嵐の心に、すっと届く。
 暗闇の中に差し込むひと筋の光のように。

 ――私のような者をもう出さぬように。

 彼女の声が。
 彼女の言葉が。
 汚れなき想いが。
 暁嵐の目のどす黒い曇りを晴らしていく。
 そうだ、彼女は復讐など望んでいない。
 愛する彼女が望むのは、復讐でも破壊でもなく、己の心のままに生きられる世。
 腕の中の清らかな存在に口づけると、心が晴れてゆく。
 彼女との約束を思い出す。
 そして燃え上がる離宮に向けて、暁嵐はさっと手を振り下ろした。
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