ホテル王と一夜の過ち 社内恋愛禁止なのに、御曹司の溺愛が止まりません
 ――逆ナンパなんて、柄じゃない。

 そんな風に決めつけて、現実から逃げ続けている。

 それでもこのバーへ足を運ぶのは、彼の方から話しかけてくれたらどうにかなるかもしれないと、淡い期待を抱いているせいなのかもしれない。

 渉の時と一緒だ。
 私は一歩を踏み出して、今よりも悪い方向へと事態が進展してしまうのが嫌だから。
 ある程度の所で立ち止まり、チャンスを逃してしまうのだ。

 片思いの相手とバーの店主が会話をしている姿すら、見たことがない。

 恐ろしく寡黙な男性の方から声をかけてくれないかと甘い考えでいる限り、私は一生彼へ思いを告げることなどできないだろう。

 ――今日も進展なし、か。

 彼はお猪口に注がれた焼酎を一杯楽しむと、無言で席を立ち、店を後にする。
 私もその様子を眺めながら、グラスで提供された赤ワインを飲み干してから退店するのが通例だった。

 週に五日、数十分間だけ一緒の空間にいる常連客同士。
 それが私達の関係。

 このままでは恋人どころか、顔見知りにすらもなれない。

 私がこのバーへ退勤後に足を運んでいるのは、職場であるホテル・アリアドネに近いからだ。
 仕事をクビになったら、この時間に合わせて片思いの相手へ会いに来る為だけにここへやって来ることはなくなるだろう。
 当面は働かなくても貯金でどうにかなるかもしれないが、無職のままではいつかは必ず生活費が枯渇する。
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