ホテル王と一夜の過ち 社内恋愛禁止なのに、御曹司の溺愛が止まりません
 少し年上ではあるけど。
 人懐っこい犬のように彼へ尻尾を振る光景だって、そのうち見られると信じている。

「香帆」

 チェックインのピークが過ぎた頃。
 パタパタと慌てた様子の女性客が自動ドアをくぐり抜け、一目散にフロントへ駆け出してきた。
 お客様に不快感を与えぬように私の名を口にした彼は、耳元で囁く。

「笑顔で応対できれば、褒美をやる」

 ――それって一体、どんなこと?

 思わず身体を離した総支配人の顔を見上げれば、彼は宿泊客に向ける優しい笑みを浮かべると、唇に人差し指を当てて顎でフロントを指し示す。

 愛する人からもう少しだけ我慢しろと餌をぶら下げられた状態で待てと命じられたら。
 勤務終了後に期待してしまって、気分が高揚していくのを感じる。

 ――今の私、頬が赤くないかしら?

 唇に指を這わせ、口角が上がっていることを確認してから。
 私は息を切らしながら焦ったように懇願する女性の対応を行った。

「おっ。落とし物! 届いて、ません、か……?」

 飛び込んできた女性は顔を真っ青にして、こちらへ聞いてくる。

 どうやら館内で、婚約指輪を落としてしまったらしい。

 彼女は宿泊客を終えたばかりのお客様で、指輪を失くしたことに気づいて慌てて戻ってきたようだ。
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