ホテル王と一夜の過ち 社内恋愛禁止なのに、御曹司の溺愛が止まりません
 気が動転していて、電話で聞くと言手段があることをすっかり忘れているらしい。

「だ、大事なものなんです……! 失くしたら、私……っ!」

 気の毒になるほど気が動転している女性へどんなテンションで話しかけていいのかわからなかった私は、苦笑いを浮かべながら視線を逸らして伝える。

「現段階では、届いておりません……」
「そんな……」
「香帆」

 女性客は顔を覆うと、泣き出してしまった。

 その様子を見かねた総支配人は、私の名を小さな声で呼ぶとこちらへやってきて耳元で囁く。

「ありがとう」

 どうして突然、お礼など言うのだろうか?
 私は慌てて振り返り、彼の表情を確認する。

 総支配人は、微笑んでいた。

 苦笑いを浮かべて対応していた私は、とてもじゃないが泣いている女性を慰めて泣き止ませることなどできそうにない。

 マニュアルには涙を流す女性の慰め方など、書かれていないからだ。

 総支配人からお礼を言われて、驚きの方が大きかったけれど。
 嬉しくなかったと言えば、嘘になる。

 私は彼に向けて小さく頷くと、泣いている女性客と向き合う。
 彼は私にならできると勇気づけるように、腹部で組んでいた両手に大きな手を重ねた。

 こんなのバレたら、クビになる。
 わかっているのに。
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