ホテル王と一夜の過ち 社内恋愛禁止なのに、御曹司の溺愛が止まりません
 そう解釈した私は渋々、彼の命令に従った。

「かしこまりました」

 総支配人へそう答えたあと。
 渋々椅子から立ち上がり、目の前の床へ跪いてから差し出されたネクタイを手に取る。

 身を屈めてこちらへ乗り出して来た彼の首元に、ネクタイを乗せた。
 うまくできるか不安だったけれど……。

 いつも通り無表情でシュルシュルと、覚束ない手つきで首元に結ぶ。

「そうだ。それでいい」

 見様見真似ではあったけれど。
 何度か渉の不格好なネクタイを直したことがある為、どうにか元通りに首元へ結びつければ。

 彼は満足そうに微笑み、私の頭を撫でた。

 私が笑顔で接客をするための、訓練なのに。
 あなたが笑って、どうするのよ……。

 私は複雑な表情を浮かべながら、彼を見上げる。

「君には学ばなければならない接客の技術が、山ほどあるようだ」
「……そうでしょうね」
「心配はいらない。俺が君を、最上級のフロント係に成長させてやる」

 必要ありませんと断りたいのは、山々だったけれど。

 私と渉の指導係を買って出たのが総支配人ならば――悪くはない。

 私は渋々、不本意ながら頭を下げた。

「よろしく、お願いします……」
「任された。俺がここで総支配人として業務に携わる間は、君にプライベートな時間などはないと思え」
「……はい?」

 二十四時間三百六十五日、宿泊客のことだけ考えながら生活しろってこと?

 冗談じゃないわ。
 週休二日だけは、守ってもらわないと。

「無茶苦茶な……」
「安心してくれ。君が楽しみにしている仕事帰りの一杯まで、奪うつもりはない」

 だったら今の言葉には、一体どんな意味が隠されているのかしら……。

 私は一抹の不安を覚えながら。
 総支配人とともに最高のフロント係になる道を歩むことになってしまった……。


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