ホテル王と一夜の過ち 社内恋愛禁止なのに、御曹司の溺愛が止まりません
 まだ勤務中なのに、いいのだろうか?

 私が総支配人の方へ身体を向けようとした瞬間、再び低い声で命じられる。

「そのままでいい。山田様が、お越しになったぞ」

 彼を見上げたままでいるわけにはいかない。
 チェックアウトの作業をするならば、お客様の方へ身体を向ける必要がある。

 総支配人が言いたいことは、私の表情だろうか……?

「香帆。その顔……」

 彼が人差し指で唇をなぞって、広角がきちんと上がっていることを確認してから指先を離したのと、目の前に山田様が立ったのはほとんど同時だった。

 現在の時刻は、九時五十八分。チェックアウトの時間ギリギリだ。
 私はあえて作り笑顔を浮かべることなく、ゆっくりと男性客を出迎えた。

「お待ちしておりました、山田様」
「おやまぁ。優しい笑顔で出迎えてくれて、ありがとう」

 渉の言葉で、そうかもしれないと思っていたけれど――やはり私はしっかりと、微笑むことができているらしい。

 普段であれば大変喜ばしいことではあるけれど……これから謝罪をしなければならない状況だと言うのに、笑顔で応対してどうする。

 私は唇を引き結んで普段の真顔に戻ると、後方から彼の声が聞こえるのを待った。
< 95 / 168 >

この作品をシェア

pagetop