夏の宵、英国帰りのイケメン王子とキセキのような恋をする

願い事


 週明けの月曜日。

 お昼休み。

 一条さんたちの会話がまた聞こえてきた。

 私は素知らぬふりをして窓の外に目をやりながらも、耳をそばだてる。


「ねえ、天坂くんてどんな人なの?」

「詩音はね。史上最年少の天才ピアニストって言われてる」


 一条さんが天坂くんのことを”詩音”と呼び捨てにするのを聞いて、心が少しざわついた。


 先週から梅雨入りしたからか、空はどんよりと薄暗い。


 一条さんの話に、周囲の女子たちも興味津々だ。


 彼女は天坂くんの両親のことを話していた。イギリス人の父親は会社を経営していて、日本人の母親は元プロピアニストらしい。

 幼い頃からピアノを習い才能を開花させていった天坂くんは数々のピアノコンクールで結果を残しているそうだ。


「詩音は日本の国籍も持ってるから、日本のジュニアコンクールにも出て何度も優勝してるの」

「えー、すごーい! そうなんだ」

「ねえ、マヤはどうして天坂くんのことそんなに詳しいの?」

「それはね……」


 一条さんは少しタメて、得意げな顔でこう言った。


「私のお母さんは詩音のお母さんと同じ音大でさ。子供のころから何度も会ってるんだよねー」


 なんでだろう。一条さんのその言葉を聞いたとき、胸がぎゅっと痛んだ。


「それって! 幼馴染じゃん!」
「いいなあ。マンガみたいだよね!」

「そんなんじゃないってー」


 言葉とは裏腹に、気を良くした一条さんのテンションは高い。


「会えるのはコンクールの時、一年に一度くらいだったけどねー」

「うわあ、あれじゃん! 織姫と彦星みたーい!」


 女子たちは一条さんの話を聞いていろめき立っていた。

 私はなんとなく席を立ち、トイレへと向かった。

 背中に聞こえる彼女たちの笑い声を受け止めながら。



 その日の放課後。

 今日も部室で天坂くんと二人、七夕の飾りつけを行っていた。


「楓花ちゃん。そういえば、七夕ってどんな意味があるの?」


 私はつたない知識で七夕の解説を披露した。


「すごい、愛し合った男女が一年に一度だけ会う日だなんて! とてもロマンティックだ」


 天坂くんは織姫と彦星の話に、なぜかひどく感激していた。

 昼間の一条さんの話がふと頭をよぎる。

 一条さんと天坂くんは、昔からの知り合いだった。

 二人の関係がどうしても気になってしまう。そんなこと考えてもしょうがないのにね。

 天坂くんに一条さんのことを(たず)ねたい気持ちをぐっとこらえる。

 今はせっかくの天坂くんとの時間を一秒たりとも無駄にしたくなかった。


「そうだ。天坂くんのピアノ。いつか聞いてみたいな」

「や、そんな大したものじゃないよ」

「でも、合唱部からスカウトくるくらいでしょ?」

「ピアノを弾ける人なんていくらでもいるから。僕の小さな妹たちだって弾けるからね」

「妹さん、小さいの?」

「うん、今年五歳で、女の子の双子なんだ」

「ええ! 絶対かわいい! いいなあ!」

「これが、もうやんちゃでさ。僕がピアノを教えてるんだけど、大変大変」

「すごい、妹さんたちにピアノ教えてるなんて、素敵だよ!」

「そうかな。楓花ちゃんにそう言われたら、なんだかピアノやっててよかったなって思うよ」


 その後、部室を後にした私たちは流れでいっしょに帰ることになった。

 昇降口のところへ来た時、七夕の短冊が置いてある机が目にとまった。


「あ! 短冊のこと言うの忘れてた!」 

「たんざく? たんざくってなに?」


 七夕ではみんなで短冊に願い事を書くということを説明した。


「そういうこともするんだね。おもしろいなあ」

「うん、願い事の募集は今週中で、来週にはみんなから集めた短冊を飾るから」

「へぇ、じゃあ僕も書こっかな。楓花ちゃんは書いた?」

「ん、書いてないよ」

「書かないの?」

「う、うん。せっかくだから書こうかな」

「よし、じゃあ今書こう!」

「え、今!?」


 私たちは短冊を持っていったん部室へと戻り、互いに願い事を書き記した。

 天坂くんは何をお願いするんだろう。自分の願い事よりもよっぽど気になってしまう。

 家がお金持ちでこんなにかっこよくて、欲しいものなんてあるのかな。

 願い事を書いた後、昇降口の募集箱に二人で入れた。


「叶うといいな。願い事」


 子供のようにつぶやく天坂くんがとてもかわいらしかった。


「じゃあ、また明日。あ、そうだ楓花ちゃん。帰りってどうしてる?」

「え? 普通に電車だよ」


 ちなみに、天坂くんは家が遠いのもあって、いつも車で送迎してもらっていると聞いていた。さすがお金持ち。高級車で送迎なんて羨ましい限り。


「ふーん、そっか。今日は僕も駅まで歩こうかなあ」

「え、どういうこと?」

「いや、たまには運動したいしさ。いっしょに駅まで歩かない? ダメかな?」

「いや、ダメじゃないけど、迎えの車来てるんじゃないの?」

「え、あー、うん。それはそうなんだけど」


 歯切れ悪くモゴモゴしている天坂くんに私は首を傾げた。

 え、え? あれ、これってもしかして、私といっしょに帰りたい、とかそういうこと?


 そう思った瞬間、私も急に焦りだした。

 なんて返事をしたらいいか迷っていると、廊下の向こうが騒がしくなってきた。

 声のする方を見ると、たくさんの女子生徒たちが昇降口に歩いてくるのが見える。先頭に一条さんの姿が見えた。

 合唱部だ。部活が終わってみんなで帰るところなんだろう。

 女子生徒のうち一人が、こちらに指をさして声をあげる。


「マヤ、あれって天坂くんじゃない?」
「ホントだ! 絶対そうだよ!」


 とたんに廊下が騒がしくなる。

 私はなんとなく天坂くんから距離を取り、下駄箱に身を隠す。


「あれ、楓花ちゃん? どうしたの」


 不自然に距離をとった私に、天坂くんが問いかけてくる。


「ごめん! 用事思い出したから先帰るね」


 私はスパッとそう言って、急いで靴を履き替えて外に出た。


 さっきまで晴れてた気がした空は、今にも降り出しそうなくらい曇天が広がっていた。

 振り返ると女子生徒たちに囲まれた天坂くんと、目が合った。



 しっとりと降る雨の中、私はそのまま一人で帰路についた。 
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