夏の宵、英国帰りのイケメン王子とキセキのような恋をする
天坂くんのピアノ
帰ってからもずっと、今日の放課後のことを考えていた。
突然帰っちゃったからなあ。天坂くん、気悪くしてないといいんだけど。
一条さんの姿が見えて、とっさに逃げてしまったが、天坂くんはどう思っただろうか。やっぱり変に思われちゃったかな。
でもあのまま天坂くんと二人でいるところを、一条さんたちに見られるのは気まずすぎた。
しかし、遅かった気もする。すでに見られてしまってたような。
そんなことを延々と考えていると、スマホが鳴った。
なんと、天坂くんからのメッセージだ。慎重にタップして開く。
『今日は用事があったのに引き留めちゃっててごめん。今度、時間がある時に駅まで送らせてほしい』
すごい。こんなにストレートに誘ってくるものかと、度肝を抜かれる。
いや、勘違いだ。単に駅までの帰り道をいっしょに歩くだけであって、深い意味はないはずだ。
『うん、急に帰っちゃって、私の方こそごめん』
とりあえず返した。後半のお誘い部分にはあえて触れなかった。
その後、三十分くらい経ったが返事はこなかった。
もう終わりかな? 一往復しかしないのって、普通なのかな? それとも私の返信内容がつまらない?
ベッドの上であれこれ考えていると、再びスマホが鳴った。
メッセージを開いて飛び込んできたのは、大きなピアノ。
動画だった。
エレガントなグランドピアノに座った天坂くんがこちらに顔を向けて口を開く。
『えーっと、楓花ちゃん、こんばんは。今夜キミにこの曲を送ります』
『クスクス、なんかお兄ちゃんいつもと違うー』
『カッコつけてるー』
天坂くんの声の後に、見知らぬ女の子二人の笑い声が響く。
二人の声はまだ幼い。たぶんこの前言っていた双子の妹たちだろう。
自宅なのかラフな服装の天坂くん。ダボっとした黒のスラックスに白いTシャツ姿。
制服と違ってこれはこれでカッコいい。壁や天井の感じからしても彼の家は大きな洋風なお屋敷で、やっぱり別世界の住人のようだ。
(すごい……私の知らない天坂くん)
『しー、二人とも静かにね。お兄ちゃん今から弾くからね』
照れくさそうに咳ばらいをして、鍵盤に目を落とす天坂くん。
『これはシューベルトの軍隊行進曲。気分が上がるからとても好きな曲です』
そして演奏が始まった。
リズミカルな出だしに、たしかにあがる。クラシックに疎い私でもこの曲は知っている。
♪♪♪
約四分の演奏が終わると、妹たちの拍手が部屋に響いていた。
『次ミライも弾くー!』
『カナタの番だよ! 順番だよ!』
そこで動画は終わった。
画面を戻すと、天坂くんからメッセージが来ていた。
『うるさくてごめん。よかったら感想聞かせてね。いつか楓花ちゃんのそばで弾きたいな』
こんなの急に送ってくるなんて、ずるいよ!
天坂くんの演奏を聞いて、私の胸はさっきから高鳴りっぱなしだった。
それに、双子の妹ちゃんたちもかわいすぎ。この空間にいっしょにいたいと素直に思った。
次の日、天坂くんと昨日の動画のことを話せるのを楽しみにしながら学校に行った。
すると、私のイヤな予感はあたった。
なんとなくだけど、朝から一条さんの視線を感じる。というか、さっき実際目が合った。
彼女とは一度も話したことないし、もしかしたら名前も知られてないと思うけど、目が合ったのは偶然じゃないと思う。
お昼休みにトイレに行くと、一条さんとバッタリ出くわしてしまった。
すぐに引き返したかったが、用を足さずに出ていくのは不自然すぎるからさすがにやめた。
鏡越しに一条さんとバッチリ目が合う。
案の定、彼女は声をかけてきた。
「あ、古賀さーん。古賀さんて何部だっけー?」
彼女の隣で鏡を見ていたクラスメイトの女子たちも静かになり、私の方に視線を向けてくる。
「あ、えっと、文芸部っていう──」
「え? なに? なんて言った?」
かぶせるように、大きめのトーンで聞き返されて、私は戸惑う。一条さんの素の声が大きいだけなんだと思うけど、なぜか怒ってるように感じてしまう。
「文芸部! だよ」
「へー、そうなんだ」
一条さんは相槌を打って微笑んだ。だけど、目は笑ってないように見える。
別に悪意はないと思うんだけど、なんだか居心地悪く感じてしまう。
「文芸部の部室ってどこにあんの? 東棟?」
「うん、そう。文化部の固まってるとこ」
「へー、今度、見学に行こっかなー」
一条さんが突然そんなことをいうものだから、私だけじゃなく他のクラスメイトも驚いた顔をしていた。
「う、うん……」
「ウソウソ、冗談だって。あたし合唱の方忙しいからねー。本気でやってるからさ」
「そ、そっか。一条さん合唱部だったね、頑張ってね」
ダメだ。
絶対に私より部活を頑張ってるはずの一条さんに対して頑張ってね、なんて安易な返しをしてしまったことを後悔する。
そもそも、心にもないことを言ってしまうのもどうかと思うし。
私はもやもやしたまま、その場を後にした。