夏の宵、英国帰りのイケメン王子とキセキのような恋をする

一途な思い


 放課後、部室へ向かう足取りは重かった。

 今日は一日中、一条さんとの会話のことばかり考えていた。

 ”見学に行こっかなー”と言っていた彼女の言葉がどうしても気にかかる。

 まさか本気じゃないと思うけど、本当に文芸部の部室に来たらと思うと不安になってしまう。


「楓花ちゃん、やっほー!」


 後ろから名前を呼ばれ振り返ると、なんと天坂くんだった。


「天坂くん! お、おつかれ」

「あれ、元気ない? 疲れてる?」


 どうして、わかるんだろう……?


「う、うん、ちょっとね」


 せっかく天坂くんが元気に声をかけてくれたのに、しょうもない返事しかできない自分が情けなくなった。


 ダメダメ、切り替えないと。


「よし、部室まで走ろっか!」


 天坂くんはそう言って、突然私の手をとった。大きくてしっかりとした彼の手から伝わってくる体温(ぬくもり)

 天坂くんは走り出した。私の足もつられて動く。

 思いがけない行動につまずきそうになりながらも、二人で廊下を駆けぬけた。

 そして、あっという間に文芸部の部室まで来てしまった。


「はぁはぁ、どうだった?」

「ど、どうって、どうしたの急に? はぁはぁ……」

「頭スッキリするかなーって思って、あ、もしかして逆に疲れた?」

「んーん、たしかにスッキリした。ありがと」


 手はまだつながれたままだった。彼と触れ合っている右手の神経は、ずっと研ぎ澄まされたままだ。

 右手で感じるドキドキが、胸まで響いてくらくらする。



 部室に入ってしばらくしてからも興奮はさめなかった。

 手つないで走ってるところ、誰にも見られてないよね。大丈夫かな。


 そんなことを気にしてしまうの。なんかイヤだ。


 でも、振り返ると恥ずかしすぎる。右手にじんわりと汗がにじむ。

 頭は冷静にいろいろと振り返りつつも、心の中には天坂くんと手をつなげた喜びが押し寄せていた。


「あ、昨日びっくりしたでしょ。変な動画送っちゃってごめん!」

「そ、そんなことない! とっても──」


 言葉に詰まる。素直に、素直にいこう自分。


「とってもカッコよかった! 天坂くんの演奏……すごく感動したよ!」

「ホント!? 楓花ちゃん、そんなこと言ってくれるなんて……弾いてよかったよ」

「あと、妹さんたち? すっごくかわいかったよ」

「あー、あははっ、うるさかったでしょ! ビックリさせてごめん」

「そんなことないよ。みんなで楽しそうでうらやましかったもん」

「いつもあんな感じなんだよね。昨日はあの後二人にピアノ教えてたんだ」


 彼が妹たちにレッスンしているところを想像した。

 絶対楽しそう。口元がついついニヤける。


「へえ、にぎやかそうで、いいなあ」

「よかったら今度遊びに来る?」

「──え!」

「あは、なーんてね」


 冗談を飛ばす天坂くん。

 乾いた声で笑っている。なんか慌ててるように見えるのは私の気のせいかな。

 でも、いつか行けたらいいな、本当に。

 天坂くんのピアノ、生で聞いてみたいし。



 そして今日の活動を終えた私たちは、帰り支度をする。

 二人で昇降口へと向かっていると、ふと昨日のことを思い出してしまった。


「天坂くん、昨日の帰り、女子たちに囲まれて大変だったね」

「ん、あーうん……」


 天坂くんは頭をかきながら気だるそうに返事をした。


「天坂くん、すごい人気だよね。大丈夫だった?」

「まあ……」

「そっか。またピアノの勧誘されたんだよね。合唱部でしょ、あの人たち」

「きっぱり断った。完全にね」


 なんだかぶっきらぼうな言葉に戸惑った。


「え、そうだったんだ」

「うん、だって僕は文芸部に入ったんだよ?」

「そ、そうだよね。でも女の子たちにモテモテで、なんだかうらやましいよ」

「……別に、たくさんの女の子にモテてもぜんぜんうれしくないよ。好きな人にだけ思われたい、かな」


 まっすぐだ。カッコいい。

 でも、さっき冗談を言ってた時から思ってたけど、なんだか今日の天坂くんはぎこちない。


 好きな人だけ、か。しっかり一途なんだなあ。

 私が天坂くんだったら、その容姿をいかして女の子たちにキャーキャー言われる人気者の人生を謳歌するかもしれない。


 好きな人にだけ、か。


 お昼休みの鏡越しに目が合った一条さんの顔が、なぜか頭に思い浮かんだ。



 昇降口のところを通りかかると、七夕の笹竹が飾ってあった。


「天坂くん! 私たちの作った笹飾りあるよ!」

「わお、ほんとだ。こうしてみるとキレイだねえ」


 たくさんの願い事が書かれた色とりどりの短冊に私たちは目を奪われた。

 ほとんどが無記名のため、誰が書いたものかはわからない。

 しばらく二人で眺めていた。

 その中でひとつ、気になる願い事を見つけた。


【ニッポンの花火を、好きな子といっしょに見たい】


 なんだか不思議と、天坂くんの声で再生される。

 好きな子と、花火かあ。いいよねえ。

 天坂くんがこちらをじっと見ていることに気がついた。彼の方を見るとなぜか慌てて目をそらされた。


 なんだろう……?


 他の短冊も見ていると、自分で書いた願い事を見つけてしまった。


(あ、これ……もう叶っちゃったんだよね)


 私は自分の書いた願い事をしばらく眺めていた。


「あ、楓花ちゃん」


 天坂くんが声をかけてくる。


「駅までいっしょに行かない? 今日は……大丈夫でしょ?」

「う、うん」


 その後、駅までの帰り道を二人で歩いた。

 ずっと雨模様が続いていた空だけど、今日はさわやかに晴れている。

 二人で帰っていて気づいたのは、今日の天坂くんはやっぱりなんだか緊張してるってこと。

 なんか照れてるみたいで私の顔もちゃんと見ないし、会話もたどたどしい。

 こっちまで緊張して何を話したかよく覚えてない。


 でも、天坂くんと二人で下校した。


 そんなすごく貴重な時間を味わえたことだけはたしかだった。
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