このたび、お見合い相手の御曹司と偽装結婚いたします~かりそめ妻のはずが旦那様の溺愛が溢れて止まりません~
美汐は耳を疑った。今の今までそんな話、ひと言も聞いていない。

「ごめんね、美汐ちゃん。人気の演目だからさすがにうちがスポンサー企業でも二枚しかチケットが手に入らなかったのよ。今度誘うから今日は我慢してね」
 
紫乃は薄手のコートを手にニッコリ笑い、そそくさと部屋を出ようとしている。

「あの、そういう話じゃなくて」
 
声をかけても振り向く様子はまるでない。

「美汐ちゃんが好きな沢田屋さんの羊羹を買って帰るわ。そろそろ栗最中がおいしい頃かしら。それも楽しみにしていてね」
「母さん? 羊羹よりも今日はもっと大切な――」
「沙織、うちの車を呼んでるから急ぐわよ」
 
紫乃は美汐の声を遮り沙織を手招く。

「柊、美汐ちゃんをよろしくね」
「紫乃ちゃん待って。美汐ちゃん、今日は連れて行けなくてごめんなさい」
 
そう言って申し訳なさそうに謝るものの、沙織の目はすでにうっとり潤んでいる。
ミュージカルの内容は知らないが、最近ハマっている俳優が出演しているのだろう。

「ごめんねじゃなくて、母さんっ」
 
足早に部屋を出て行く沙織を追いかけようととっさに立ち上がるが、入れ違いに入って来たふたりの仲居に会釈され、足を止めた。

「座ったらどうだ」
 
柊の声は落ち着いていて、沙織たちを気にしている様子もない。

「こちらのお料理は絶品だから、ゆっくりいただこう」
 
運び込まれた料理を前に、気持ちを切り替えたようだ。

「でも……」
 
美汐は沙織たちが出て行った方を気にしながらため息を吐く。
 
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