優等生の一之瀬君の裏の顔は知ってはいけなかったみたいです

5.交換条件


〇2年A組教室(数日後、朝)

 朝、登校してきた結菜は、教室で鞄から荷物を出している。

 結菜は荷物を出しながら、リトのアカウントをやめちゃえばいいのにと勧めたとき、「俺にはやめるのは無理」と言っていた一之瀬のことを思い返す。

結菜(この前の一之瀬君、ちょっと変だったな。リトの投稿楽しんでやってると言うより、無理して続けているみたいな……。「やめたくない」じゃなくて「やめるのは無理」って言い方してたのも気になるし)

 鞄から荷物を出しながら、悶々と考える結菜。
 後ろから声をかけられる。

一之瀬「七海さん」

結菜「わっ、一之瀬君!」
結菜(考えていたところに本人が……!)

一之瀬「そんな驚かなくても。今日、俺、放課後に委員会があるから空き教室に行けない。七海さんも行かなくていいよ」

結菜「そっか、わかった」

 周りに聞こえないように一之瀬が小声で言い、結菜がうなずく。
 一之瀬、去って行く。


結菜(そっか、今日は空き教室で会えないのか。ちょっと寂しいな)

 結菜、少し落ち込んだ顔をしてから、急に笑顔になって顔をあげる。

結菜(そうだ、せっかくだから今日は空いた時間でお菓子作ってみよう! 一之瀬君を励ますために! いつも勉強教わってるお礼も兼ねて!)

 一之瀬にあげるお菓子を思い浮かべ、途端に元気な顔になる結菜。

結菜(よし。今日の帰りはお菓子の材料買って帰ろう)

 楽しそうな結菜を、教室の奥から乙川が冷たい顔で見ている。


〇学校、正面玄関(放課後)

 下駄箱のところでジャージ姿の翼と別れる結菜。

結菜「翼ちゃんばいばーい、部活頑張ってね」

翼「ばいばい、結菜。車に轢かれないように気をつけてね」

 真顔で注意する翼に手を振って、にこにこ靴を履き替える結菜。

結菜(何のお菓子作ろうかな。一之瀬君何が好きだろう)

 革靴に履き替えた結菜が正面玄関を出ようとすると、柱の影に乙川が立っているのに気づく。

結菜(あ、乙川さんだ)
結菜(今日も綺麗だなー。誰か待ってるのかな)

 結菜がぼんやりと乙川を見ていると、乙川と目が合う。乙川はそのまま早足で結菜に近づいてくる。

乙川「七海さん。もう帰るの?」

結菜「え、うん。乙川さんは誰か待ってたの?」

 乙川が駆け足で近づいて来たことに少し驚いた顔をしながらも、結菜は尋ね返す。

乙川「私は七海さんを待ってたんだ」

結菜「え、私?」

 予想外の言葉に目をぱちくりする結菜。
 乙川は昨日の空き教室前での不満げな態度と違い、にこやかで感じのいい態度。

乙川「この後時間大丈夫? ちょっとどこかで話せないかな」

結菜「え? う、うん。いいけど……」

 乙川の勢いに押され、思わず了承してしまう結菜。

乙川「本当? 嬉しい! 私、七海さんと一度ちゃんと話してみたかったんだー」

 乙川は機嫌良く結菜の腕を掴んで引っ張って行く。
 強引な乙川に戸惑う結菜。


〇学校から少し離れた場所にあるカフェ

 乙川に引っ張られるまま、チェーンのカフェに連れて来られた結菜。
 レジで注文して席に着く。

 壁際の二人席に腰掛けると、乙川は周りをきょろきょろ見回す。

結菜「どうかした?」

乙川「今からする話、同じ学校の子がいるところでしたらまずいと思って」

 乙川は意味深に笑う。

結菜(本当に何の話なんだろう)

 若干警戒した顔になる結菜。乙川は結菜を見てにっこり微笑む。

乙川「七海さん」

結菜「なに?」

乙川「あの空き教室で、いつも一之瀬君と何してるの?」

 突然、確信をついたことを聞かれて固まる結菜。

結菜「えっ、なんで知って……」

乙川「あ、やっぱり私の勘違いじゃなかったんだ。この前、一之瀬君と七海さんが、時間差であの教室入って行くところ見かけてねー。その後も偶然あの辺りを通ったら、放課後二人があそこへ入って行くのをよく見かけるから、なんでだろって気になってたんだ」

結菜(こ、こっそり入ってたつもりだったのに……! そんなに頻繁に見つかっているなんて……!)

 見張っていたことは伏せて説明する乙川に、結菜は青ざめる。
 それでもどうにか誤魔化そうとする結菜。

結菜「ええっと、私が数学が苦手だって言ったら、一之瀬君が親切にも教えてあげるって言ってくれて。それであの教室で勉強してたっていうか……」

乙川「あんな倉庫みたいになってる場所で? やりにくいでしょ。別の場所でやればいいじゃない」

結菜「あの散らかっている感じが落ち着くと言うか……!!」

結菜(だめだ、誤魔化せない。うまい言い訳が思いつかない!)

 嘘が苦手な結菜は、言い訳が思いつかずおろおろする。
 動揺している結菜を見て、乙川がおかしそうに笑う。


乙川「誤魔化さなくていいよ。わかってるから。人のいる場所では出来ない話をしてたんだよね?」

結菜「え……」

乙川「あの教室で、リトの話をしてたんでしょ?」

 乙川の言葉に結菜は衝撃を受けた顔になる。

結菜「それは……!」

乙川「中で話してるの聞こえちゃったんだ。あの品行方正な一之瀬君が、裏であんなことしてるなんてびっくり。うちの学校の生徒や教師の個人情報集めてるとか言ってたけど、それって犯罪だよね」

結菜「乙川さん、どこまで知って……」

乙川「ほぼ全部?」

 乙川は鞄からボイスレコーダーを取り出す。
 驚いて目を見張る結菜の前で、音声を再生。

結菜『一之瀬君、最近リトのアカウントの更新率、さらに減ったね』
一之瀬『うん。ちょっと面倒になってきちゃってさ……。個人情報集めるの結構大変だし』
結菜『大変ならやめちゃえばいいのに』
一之瀬『やめるのは無理。前も言ったけどあれがないと今の俺のままでいられない』

結菜「これ……録音してたの? どうやって……」

乙川「あの教室、物がいっぱいで隠し場所には困らないでしょ? 二人が来る前にこれを段ボールの裏に置いておいて、帰った後に回収したの」

結菜「なんでそこまで……」

 青ざめる結菜を見て、乙川はにっこり笑う。


乙川「やだなぁ、そんな顔しないでよ。言いふらす気なんてないから」

結菜「本当……? このこと言わないでくれる?」

乙川「うん。誰にも言わないよ。私、一之瀬君のこと嫌いなわけじゃないし」

 乙川の言葉に、ひとまず安心する結菜。

 乙川は鋭い目で結菜を見つめて言う。

乙川「ただし、ひとつ条件があるの」

結菜「条件?」

乙川「うん。このこと黙っておいてあげるからさ。七海さん、一之瀬君に近づくのやめてくれない?」

結菜「え?」

 結菜が乙川の言葉に戸惑うと、乙川は楽しげに笑いながら続ける。

乙川「これからは一之瀬君と二人で会わないで欲しいんだ。あの空き教室に行くのもやめて」

結菜「どうして……」

乙川「七海さんが一之瀬君のそばにいると都合が悪いの。いいでしょ? 七海さんが条件を呑んでくれさえすれば、一之瀬君の秘密は守られるんだよ」

 結菜、秘密は守りたいけれど、なかなか乙川の言葉にうなずけない。
 戸惑う結菜を見て、乙川はからかうように言う。


乙川「七海さん、一之瀬君に会えないのがそんなに嫌なの?」

結菜「え……」

結菜(私、嫌なのかな。もともとは一之瀬君が必死に頼むからしばらくの間付き合ってあげようと思っていただけなのに)

 結菜、一之瀬と空き教室で話したことや、爬虫類館に一緒に行ったときのことを思い出す。

結菜(一之瀬君と、もうあんな風に一緒にいられなくなる……。どうしよう、想像しただけですごく嫌)

 結菜、自分が一之瀬に会えなくなるのは嫌だと思っていることに気づき、断ろうと乙川を見る。
 しかし、乙川は結菜の返事を察したかのように不敵に笑って言う。

乙川「別に断ってもいいよ。リトの正体が一之瀬君だって、みんなにバラされてもいいなら。困るだろうなぁ、一之瀬君。今まで築いてきた地位も台無しだね。ご両親厳しいらしいのに、そんな問題行動が知られちゃったらどうなるかなぁ」

結菜「……!」

 乙川の言葉に結菜は言いかけた言葉を止める。
 数秒の沈黙の後、結菜は力なくうなずく。

結菜「……わかった。乙川さんの言う通りにするよ。一之瀬君にはもう近づかない」

乙川「わかってくれたの? わぁ、七海さんが話の通じる人でよかった!」

 結菜が了承したので、乙川は機嫌が良くなりにこにこしている。


乙川「じゃあ、話も終わったし帰ろうか。急につき合わせちゃってごめんねー」

結菜「……ううん」

 機嫌のいい乙川と、元気のない結菜。
 席を立つと、乙川は結菜の耳元で囁く。

乙川「七海さん、約束守ってね。一之瀬君を守りたいなら」

 乙川の言葉に表情を曇らせる結菜。

 一之瀬の笑顔を思い出し、悲しげな顔になる。

つづく

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