束の間のブルーモーメント
「いやだ」なんて、わたしに言う権利はなかった。
菖蒲くんの言いなりになっていたほうが、余計な波風が立たなくていい。
いつもたくさんのかわいい子たちに囲まれているくらいだ。
飽き性の菖蒲くんが、わたしなんかの相手をしていたらすぐにいやになるだろう。
そうしたら、こんな関係はすぐに終わらせられる。
「わかった」
わたしがはっきり返事をすると、菖蒲くんの瞳が少しだけゆれた。
不愉快そうな小さなため息をつく。
「逃がさねぇから」
「え?」
なにか言ったような気がしたけど、わたしにはちゃんと聞こえなかった。
首をかしげて、菖蒲くんの様子をうかがう。
「あの、今日はもう帰ってもいい……かな?」
菖蒲くんは、窓の外に顔を向けた。
わたしへの興味がなくなった――――のか、そうじゃないのか。
ただ、返事はない。
今日は気がすんだんだろう。
よかった。
胸をなでおろしたわたしは、菖蒲くんに背を向けて教室の入口に向かった。
「じゃあ、行くね」
菖蒲くんのほうは見ないで声をかける。
やっぱり返事はないけど、いちいち気にしていたらきりがない。
「早く帰れ」と言われないだけましだ。
勢いよくドアを開けると、ひんやりとしたさわやかな風が吹いて、まどろっこしい空気が身体から抜けていく。
五月の緑をオレンジに染める、夕方の風。
わたしはずっと、この季節が大すきだった。