失くしたあなたの物語、ここにあります
 沙代子がこの町を出るころ、彼は越してきたらしい。それなら、あのうわさを知っているともいないともわからない。

「葵さんとはすれ違いみたいなものかな」
「私が15年前に引っ越したことは父から聞いたの?」
「銀一さんはよく娘さんの話をしていたから。時々会えるときはすごくうれしそうにしてた。優しい人だったよね」
「うん、それはそう」

 父はマメで穏やかで、親切すぎるぐらい親切な人だった。

 当時は、母と暮らすのがあたりまえだと思っていたけれど、自由奔放な母に違和感を覚える年頃になったときには、どうして母についてきてしまったんだろうと何度も後悔した。父と暮らしていたかった。その思いが、今になってこの家へ戻ろうと決意させたのかもしれない。

「葵さんは当時、小学生だよね?」
「6年生だったの。中学にあがる春に引っ越したから、店主さんと同じ中学には通ってない」
「店主さんじゃなくて、天草でいいよ」

 彼はおかしそうに笑む。

「あ、じゃあ、天草さん。年上だし」

 そう言いながら、ため口になってしまう。あどけない笑顔を見せる青年だから、年上というより、とっつきやすい男の子という印象だ。

「そうだ。父に会っていく? 家族葬だったから、父とお別れできなかった方もいるんじゃないかって気になってて」

 家族葬にしたのは、叔父と母の判断だった。いくら、繁盛してない古本屋の店主だったと言っても、近所のつながりはあるのにと思っていただけに、こうして訪ねてきてくれた天草さんには申し訳ない思いでいっぱいだ。

「銀一さんはずっと、家族葬でいいって言ってたからね。家族に見送ってもらえたらそれでいいって」
< 11 / 211 >

この作品をシェア

pagetop