失くしたあなたの物語、ここにあります
「姉さんがどうしてここに住んでるのか理解できたら帰る」
「またそんなこと言って」

 ローテーブルにグラスを置き、ピッチャーでハーブウォーターを注ぎ入れる。プレーンのマフィンも一緒に差し出すと、悠馬は小さく頭を下げた。

 沙代子と悠馬はひと回りほど歳の離れた姉弟(きょうだい)だ。仲の良い姉弟と言えるほどの距離感はない。

 両親が別居してから、母はフルタイムで働き、沙代子は学校から帰ると家事を任されていた。その間、悠馬は保育園に預けられていたし、週末になると、彼だけ厳格な祖母と過ごしていたから、沙代子との接点は少ない。祖母の教育のおかげか、誰に似たのか、いつも彼は沙代子に対しても礼儀正しい。

「さっきの人は何にも知らないの?」

 悠馬はハーブウォーターを飲み干すと、肩の力を抜いて、そう尋ねてくる。久しぶりに会う沙代子に、彼も緊張していたのだろう。ハーブウォーターで、少しはリラックスしたのかもしれない。

「天草さんのこと? あの話はしてない。する必要もないから」
「なんで?」
「なんでって……。なんでそんなふうに言うの?」
「知られたくないみたいに見えたから」

 それはそうだ。だけど、知られたくないというよりは、やはり、話す必要を感じてないという思いの方が強い。

「隠すぐらいなら、ここに住まなきゃいいのに」

 淡々と言うが、あきれてるような口調だ。

「隠してるわけじゃないから」
「俺のこと気にしてるなら、別にいいから。うわさされるのは慣れてるし」
「気にしてない。ここにいるのは、私のためだから。悠馬がどうとか、そういうのじゃない」
「母さん、言ってたよ。よくあんな街で暮らす気になったわねって」
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