失くしたあなたの物語、ここにあります
沙代子は反射的にぎゅっとひざの上でこぶしを握った。
「誰のせいでって思った?」
悠馬はちょっとおかしそうに口を歪めると、マフィンを半分に割った。いつもポーカーフェイスのくせに、こういう時ばかりは皮肉げに笑うのだ。
「姉さんはわざわざ苦労するのが好きみたいだ」
「なによ、それ」
「俺だったら、母さんの不倫相手が住んでる街に好き好んでは住まない」
「そういう話はしたくない」
それは、ずっと忘れたくても忘れられない、考えたくなくても考えてしまう問題だ。鶴川にいてもいなくても、沙代子にはついて回る問題で、それは悠馬も同じだろう。だから彼も、うわさされるのは慣れてると言ったんじゃないのか。
「あの男には会った?」
悠馬は冷たい声音でそう言った。あの男を指すものは、母の不倫相手だろう。
「会ってない」
「会うの?」
「会うつもりで戻ってきたわけじゃないから。悠馬が心配してるようなうわさもされてない」
「それは姉さんが気づいてないだけかも」
まるで、お人好しだから気づかないよね? と、揶揄されたみたいだ。
「うわさを耳にしても、間違ってることは否定するから。そのぐらいはするし、できるから」
「そんなことしても、母さんがしたことは消えない」
「それはわかってる」
「姉さんは銀さんに似て、まっすぐだね」
悠馬は父を『銀さん』と呼ぶ。それは、母がそう呼ぶから。
「悠馬も、まっすぐよ」
「気休めはいいよ。……このマフィン、美味しい」
マフィンをひと口食べて、悠馬はつぶやく。
「ほんと? 私が作ったの」
「姉さん、才能ある。パティスリーやるの?」
「うん。ずっと迷ってたけど、やることにした」
今の沙代子は信じられないほどに前向きだ。だから、何も心配いらないのだと胸を張るが、悠馬はまだ何か引っかかっているような顔をする。
「この街で?」
「誰のせいでって思った?」
悠馬はちょっとおかしそうに口を歪めると、マフィンを半分に割った。いつもポーカーフェイスのくせに、こういう時ばかりは皮肉げに笑うのだ。
「姉さんはわざわざ苦労するのが好きみたいだ」
「なによ、それ」
「俺だったら、母さんの不倫相手が住んでる街に好き好んでは住まない」
「そういう話はしたくない」
それは、ずっと忘れたくても忘れられない、考えたくなくても考えてしまう問題だ。鶴川にいてもいなくても、沙代子にはついて回る問題で、それは悠馬も同じだろう。だから彼も、うわさされるのは慣れてると言ったんじゃないのか。
「あの男には会った?」
悠馬は冷たい声音でそう言った。あの男を指すものは、母の不倫相手だろう。
「会ってない」
「会うの?」
「会うつもりで戻ってきたわけじゃないから。悠馬が心配してるようなうわさもされてない」
「それは姉さんが気づいてないだけかも」
まるで、お人好しだから気づかないよね? と、揶揄されたみたいだ。
「うわさを耳にしても、間違ってることは否定するから。そのぐらいはするし、できるから」
「そんなことしても、母さんがしたことは消えない」
「それはわかってる」
「姉さんは銀さんに似て、まっすぐだね」
悠馬は父を『銀さん』と呼ぶ。それは、母がそう呼ぶから。
「悠馬も、まっすぐよ」
「気休めはいいよ。……このマフィン、美味しい」
マフィンをひと口食べて、悠馬はつぶやく。
「ほんと? 私が作ったの」
「姉さん、才能ある。パティスリーやるの?」
「うん。ずっと迷ってたけど、やることにした」
今の沙代子は信じられないほどに前向きだ。だから、何も心配いらないのだと胸を張るが、悠馬はまだ何か引っかかっているような顔をする。
「この街で?」