失くしたあなたの物語、ここにあります
 天草さんが大きなため息をついた。すると、渋々というように女の人を店内へ入れ、戻ってくる。その表情は浮かない。

 沙代子もきっと、彼と同じ表情をしているだろう。店内を見回し、こちらに視線を向けた女の人は、宮寺詩音さんだった。

 天草さんと詩音さんは知り合いだったみたいだ。しかも、閉店間際の店へわがまま言って入れさせてもらえるような関係の。

 彼は沙代子に申し訳なさそうな顔を見せると、入り口に一番近い席に彼女を座らせた。そして、水を運んでいき、「飲んだらすぐに帰ってください」と言う。

 詩音さんはメニュー表を差し出されても手を出さず、まるで最初から決めていたみたいに言う。

「マロウブルーが飲みたいわ」

 天草さんは無言でキッチンに入っていく。その横顔は厳しい。詩音さんに迷惑してる様子を隠そうともしない。そして、彼女もまた、迷惑してる彼にひるみもしないのだ。

 詩音さんの視線が沙代子に向けられた。何か言いたげに薄く口が開くから、沙代子は落ち着かなくて立ち上がる。

 すると、天草さんがキッチンから素早く出てきた。

「葵さん、帰る?」
「あっ、うん。タルトの感想、また今度聞かせて」
「わかった。今夜、電話する」

 電話? それには沙代子も驚いて、どきりとしてしまった。

「あ……、また来たときでいいから」

 彼の申し出を断ると、沙代子はそそくさとまろう堂を逃げるように飛び出した。
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