失くしたあなたの物語、ここにあります
 すぐさま決めると、ほほえましげに見つめてくる天草さんに、沙代子はほんの少しどきりとした。ちょっとよそ行きのスマイルを見せる彼は、絶対女性客に人気だろう。

「あっ、それと、レモンタルトください。デザートはどこのものを扱ってるの?」

 動揺を隠すように、矢継ぎ早に尋ねる。

「デザートは全部、母の手作り。ずっと祖母が作ってたんだけど、今は母が」
「お母さんがお一人で? 大変だよね?」
「カフェでお出しする分しか作らないから。葵さんの方が母よりずっと美味しいケーキ作るんじゃないかな?」
「そんな謙遜しないで。ここのケーキ、すっごく美味しいから」
「ありがとう。でも俺は、葵さんのケーキを食べてみたいな」
「あ……、どうかな」

 困って、あいまいに返事してしまった。社交辞令だってわかってるんだから、今はもうケーキを作ってないなんて白状する必要はないのに。

「ここに越してきたのは、近くで出店するって決めたから?」

 沙代子の戸惑いに気づかない様子で、天草さんはそう尋ねてきた。

「……ううん。独立はあきらめたの」

 隠してたって仕方ない。ぽつりとつぶやくと、彼は眉根を寄せる。

「どうして?」
「父が亡くなったから……」

 それだけじゃないけれど、沙代子は口をつぐむ。一緒にパティスリーを開くつもりだった恋人と別れたからなんて言えるはずもない。

「だからって、あきらめなくてもいいと思うよ」
「協力してくれる人がいないと難しいから」

 力なく言うと、天草さんは困り顔で黙り込んだ。
< 20 / 211 >

この作品をシェア

pagetop