失くしたあなたの物語、ここにあります
 沙代子はカウンター越しに本棚を眺めた。

 誰でも気軽に手に取れる場所には置いてない。お茶を飲みながら本を読む目的では置いてないのだろう。レジカウンターからも遠いし、積極的に売る気がないみたいだ。

 あきれつつ、父らしい、とおかしくもある。古本は買いたい人が買う。売れなくてもいい。閑古鳥が鳴くまほろば書房にあきれる沙代子に、父は笑いながらそう言っていた。

「何か面白い本あった?」

 カモミールティーの入ったポットをカウンターの上に置きながら、天草さんは愉快げに言う。

「えっ?」
「ちょっと笑ってたから」
「えー、うそっ」
「嘘は言わないよ」

 どうも、思い出し笑いしていたらしい。からかうような天草さんに恥ずかしさを覚えて顔に手をあてると、彼の視線が後方へと動く。と同時に、カフェの扉が開く音がした。客が来たようだ。彼は「ごゆっくり」と言うと、カウンターを出ていった。

 来店客は、春色のワンピースがとてもよく似合う若い女の人だった。二十代半ば頃だろうか。ちょうど沙代子ぐらいの年齢に見える。

「おひとりですね。カウンター席とテーブル席とございますが、どちらになさいますか?」

 天草さんの尋ねに対し、女性客は本棚に目を止めると、「カウンターで」と答えた。

 客は沙代子しかいない。ほかの客に気兼ねなく座れる席はたくさんあるのに、ワンピースの彼女は沙代子の隣に座ると、カモミールティーに気づいて笑顔になった。

「すごく澄んだ黄緑色ですね」
「えっ、あ、そうなの」
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