失くしたあなたの物語、ここにあります
「松永さん、当選おめでとう。あと、これ」
翔が小説を持ってきたのは、生徒会選挙が終わった、9月末のことだった。
柳井菜々子、空の鼓動。澄み切った青い空を描いた表紙が美しい青春小説だった。陸上部の菜七子にぴったりの内容だからと、翔がおすすめしてくれたのだった。
「この作家さん、私と同じ名前だね。柳井菜々子。うん、覚えた。私もね、面白い本見つけたの。明日、持ってくるね」
菜七子が読むのはもっぱら、少女漫画か映画原作の小説だったが、翔はどんなジャンルも読むから大丈夫と言って、菜七子が面白がる女子向けの本でもちゃんと読んで感想を伝えてくれた。
翔は誠実で優しく、同じ高校生とは思えない落ち着きがあって、菜七子には憧れの存在だ。日増しに彼への想いが強くなるのを感じていた。
「あ、家で見るといいよ」
菜七子が早速、小説を開こうとすると、翔はそう言って、カバンを持ち上げた。
「帰るの?」
いつも残って自習している翔にしては珍しい。
「また明日」
「うん、また明日ね。私は新役員の集まりがあるから」
一緒に帰りたいから、待ってて。そう言いたかったけど、グッと我慢した。翔とよからぬうわさになるのは嫌だったのだ。
翔が教室を出ていくと、菜七子は小説にふたたび目を落とした。家で見るように言われたけれど、小説に挟まれた栞が気になったのだ。
翔が栞を挟んだまま小説を貸してくれたことはない。中を開くと、栞だと思っていたものは、びんせんを栞サイズに切った紙だと気づいた。
翔はいつも紙を栞代わりにしてるのだろうか。ふしぎに思いながら、栞にしては薄っぺらいそれを指で何気なくひっくり返した菜七子は、そこに書かれた文字を見つけるとすぐに本を閉じていた。
胸がどきどきして、指先が震えている。何かの見間違いかもしれない。そう思って、おそるおそるもう一度本を開いた。しかし、見間違えでもなんでもなかった。