失くしたあなたの物語、ここにあります
天草(あまくさ)農園ですね。営業は週末だけ?」

 土日営業と書かれた文字をなぞる。

「基本的には。業者の方にはご連絡いただければ、いつでも対応してるんですが、なにせ家族経営なものですから」

 どうやら天草農園は、店主の青年とその家族で運営しているらしい。

「業者にも卸していらっしゃるんですね。こんなにおいしいハーブティーになるハーブなら、とびきりおいしいケーキがつくれそう」
「ハーブを使ったケーキですか」
「ええ。こちらのカフェのケーキに、ハーブは使われてないですよね?」
「そうなんです。以前はお出ししていたんですが」

 歯切れ悪そうに言うから、今は出していない理由があるのだろう。

「おひとりでカフェをやられてるなら、ケーキまでこちらでっていうのは難しいですよね」
「実は、ハーブを使ったケーキは祖母が作っていまして。祖母の作る味が出せないうちはご提供を控えているんですよ」

 ということは、彼の祖母は今はケーキ作りをしていないということだろう。

「あ、すみません。立ち入ったことを聞いちゃいましたよね」

 青年はゆるりと首を横に振り、迷うように口を開く。

「こちらも失礼を承知でお尋ねしますが、お客さまはパティシエをされてるんですか?」
「えっ、どうして?」
「なんとなく、そんな気がしたものですから。違ってましたら、すみません」
「違うっていうか……、今は特に」

 口ごもるようにそう言うと、青年は何か言いたげな表情をした。しかし、会計待ちの客に気づいて離れていく。

 ほっとあんどして、パンフレットに目を落とす。天野農園は近くにあるが、歩いていける距離ではなさそうだ。

 それから、まばらにやってくる客の対応で、青年は忙しそうにしていた。

 本棚のこと、聞きそびれちゃったな。

 沙代子は会計を済ませると、「またお待ちしています」と、にこやかに頭を下げる青年に見送られてカフェをあとにした。
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