失くしたあなたの物語、ここにあります
 睦子さんはつぶやくように言う。

「探してたものじゃなかったからじゃないかな?」

 沙代子がようやく、睦子さんの隣に腰かけると、彼女はハッと顔をあげる。

「そんなはずはないです。菜七子はずっと、空の鼓動を探してたから」
「空の鼓動を探してたのは間違いないと思うけど、菜七子さんが探してたのはきっと、栞の方」
「栞?」

 睦子さんの表情が奇妙に歪む。

「栞を探してるから、菜七子さんは村瀬さんから借りた空の鼓動を探してるんだと思う」
「葵さん、その話は」

 天草さんにたしなめられて、沙代子はハッと口をつぐむ。お客さんとのやりとりを口外したらいけないって、とがめられたと気づいた。どうも自分は余計なことを言いたがる性格らしい。

「菜七子、知ってたんですね……栞のこと」

 睦子さんはそうつぶやくと、空の鼓動を手に取る。

「この本、菜七子の本なんです。ううん。村瀬くんが菜七子に貸した本なんです」

 断定する言い方に、沙代子は首を傾げる。

「村瀬さんが貸したのと同じ本じゃなくて?」
「まほろば書房にこの本を売ったのは、私なんです。だから、この本は村瀬くんの本」
「いま、なんて?」

 何かの聞き間違えだろうか。沙代子がもう一度尋ねると、睦子さんはこちらを見る。その目はひどく落ち着いているのに、どこか悲しげだった。

 見守る沙代子の視線を嫌うように、彼女は目を伏せる。

「私が高校生の時に、母に頼んで売ってもらったんです。母は本をよく読む人で、まほろば書房で本を売ったり買ったりよくしていたから」
「睦子さん、何を言ってるかわかってるの?」
「もちろん、わかってて言ってます。私なんです。私が菜七子を困らせてやろうと思って、カバンからこの本を盗んだんです」
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