失くしたあなたの物語、ここにあります
「農園に連れてってくれるの? 行きたい。ごあいさつまだだし」
「あいさつなんて気にしなくていいよ。じゃあ、日曜日、俺の車で迎えに行く。家で待ってて」

 そう約束した週末の日曜日、沙代子はお昼すぎに迎えにきた天草さんの車に乗って、彼の実家である天草農園へ向かっていた。

 助手席から見る景色が、古き良き時代の面影を残す城下町から、新しい文化を取り入れて成長してきた市街地へと移り変わる。そして、いつしか視界は開け、山が望める田舎道を進んでいく。

「城下町から遠くないところに、こんなに自然豊かな場所があったんだね。知らなかった」

 沙代子が感心すると、天草さんが意外そうに言う。

「葵さんが子どもの頃、うちに来たことがあるって祖母が話してたよ」
「えっ、そうなの?」
「かわいい女の子がいつもおめかしして来るんだって。おませな女の子だったんだね」

 天草さんはくすりと笑う。今と全然違うね、って言われたみたい。

「それ、私じゃないと思うなー」

 じゃれ合うようにたわいない会話ができる仲になってる自覚は今までなかったけれど、自然が与える開放感からか、運転席の彼の顔を覗き込んだ沙代子は、いつにもまして、無邪気にそう言う。

 目を細めてこちらを見る彼は、すでにからかうような目をしてなかった。愛おしいものを優しく見守るような目だ。彼が何を思ったのかわからないが、沙代子は友だちの一線を超えた距離感に思えて、急に恥ずかしくなって目をそらした。
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