失くしたあなたの物語、ここにあります
 父は亡くなるその日まで、この家でひとりで暮らしていた。アパートを数軒所有し、家賃収入を得ていた父が古本屋を経営していたのは、趣味のようなものだと聞いたことがある。沙代子の記憶する限り、父はほとんどの時間を古本屋で過ごしていて、その生活はずっと続いていたのだろう。

 父が倒れたのは、自宅の階段でだった。足を滑らせて転倒したという話だった。見つけるのが早ければ助かったかもと、近くに暮らす父の実弟である叔父さんは悔いていた。

 初七日を終えると、父の所有していた不動産のほとんどは、叔父さんが相続することに決まっていた。父の遺言だった。

 別居中だった母にはこの家と古本屋だけが残された。沙代子が「父の家に住みたい」と申し出ると、好きにしていいとあっさりした返事が母からは返ってきた。

 四十九日を終えるのを待って、住み慣れたアパートを手放し、ここへ引っ越してきた。そのときにはもう、男ひとり暮らしだったとは思えないほど、室内はきれいに片付いていた。母がいつ戻っても大丈夫なようにしていたんじゃないか。そう思えるほどには。

「明日は古本屋をのぞいてみようかな」

 古本屋をどうするかはまだ決めていない。状況を見てみないと、と母は言っていたが、あまり興味がないようで、引っ越しを決めた沙代子に店舗の鍵を渡し、「ついでに見てきて」と言うだけだった。

「うん。そうしよう」

 明日の予定が立つと、むしょうにやる気が湧いてくる。少し前までは、すべて失ったと失意にくれていたけど、沙代子だっていつまでも傷ついてばかりいられないとわかっている。

 さっき置いたばかりの鍵をつかんで玄関を出る。
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