失くしたあなたの物語、ここにあります
「そうね。ハーブがあまり知られてない頃からやっていて、苦労も多かったでしょうけど、おばあちゃんが大切にしていたカフェなの」

 お母さんは懐かしむように、しみじみとそう言うと、ミントの乗ったタルトの写真を指でなでた。

「おばあちゃんがいないとカフェなんて私には無理よって、ハーブを使ったケーキは作らないでいたの。結局、おばあちゃんは一度も退院することなく亡くなってしまったから、どうしても今でも作る気になれなくて」
「それで、まろう堂のケーキにはハーブが使われてないんですね」
「ええ。いつかは……って考えてるんだけど、まだね」

 きっと、ハーブのケーキを作らないのは、願掛けでもあったのだろう。しかし、願いは叶わず、お母さんの心は過去に立ち止まったままなのだ。

 自分がパティシエの仕事になかなか復帰できないのと同じだろうか。沙代子はそんなふうに考えながら尋ねた。

「まろう堂のケーキは、おひとりで?」
「基本的にはね。時々、大学生の姪が手伝いに来てくれるんだけど」

 天草さんが言っていた、いとこのアルバイトの女の子のことだろう。

「だからね、沙代子ちゃんにはまろう堂のケーキを一緒に作ってもらえたら助かるわ」
「私がまろう堂の?」

 まろう堂のケーキに心酔する沙代子にとって、それは願ってもない申し出だった。

「まろう堂にはよく来てくれるって、志貴からは聞いてるけど、ケーキは食べたことある?」
「あっ、はい。実は……、全部いただきました」

 ハーブティーよりケーキが目当てみたいだね、と天草さんに笑われてしまうぐらいには食べてきた自信がある。
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