失くしたあなたの物語、ここにあります
 汚れた長靴を気にしたのだろう。中へは入って来ない天草さんが、ドアを大きく開いて待っててくれるから、沙代子はあわてて外へ出た。

「お茶の時間には戻ってきなさいね」と言うお母さんに見送られながら、ふたりで肩を並べて轍のあるゆるやかな坂道を進む。

「ここではさ、バジルにローズマリー、オレガノやミント。それに、タイム、カモミール、レモングラス。あとはー、珍しいものだと、カレーリーフとかね、約20種類のハーブを育ててるよ」

 坂道の先にあるビニールハウスに向かいながら、天草さんはそう教えてくれる。

「いろいろ育ててるんだね」
「いろいろって言っても、家族経営だし、あんまり手広くやりたくないっていうのが両親の考えだから、基本的には父さんと母さんふたりでやれる分だけ」
「ハーブティーの茶葉はどうしてるの?」
「ここにないハーブは提携農家からも仕入れてて、加工品は近くに工場を持ってるおじさんにお願いしてる。おじさんっていうのは、母さんの妹さんのご主人だよ」
「もしかして、お手伝いに来てくれるいとこの子って」
「そう、そこの子」

 天草さんの祖父母がふたりで始めた農家は、数十年の時を経て、たくさんの人に支えられて大きくなってきたようだ。

「あっ、そうだ。私ね、ケーキ作りのお手伝いを頼まれたの」
「ケーキ作るんだ? それは楽しみだな」
< 72 / 211 >

この作品をシェア

pagetop