失くしたあなたの物語、ここにあります



 農園をひと通り見て回ったあと、お父さんが摘んだばかりのレモングラスのハーブティーをいただきながら、お母さんの絶えない質問攻めに合い、夕食までごちそうになって、天草さんと一緒に帰宅したのは夜遅くになってからだった。

 わざわざ運転席から降りてきて、玄関先まで送ると言って譲らない天草さんとアプローチを並んで歩く。ゆっくりとした歩みは、彼と離れがたい気持ちの表れだろうか。そんなことを考えながら、沙代子は言う。

「天草さんのお父さん、ずっとお母さんがしゃべってるの、にこにこしながら聞いてたね。仲良しなの伝わってきたよ。いいご夫婦だね」
「あこがれる?」

 茶化すように彼が聞くから、沙代子は首をかしげた。

「どうかな……」

 この人となら、ずっと一緒にやっていける。そう思って、別れた恋人とパティスリーの共同経営を考えたけれど、彼と結婚したかったのかはよくわからない。

 あたりまえの家族にあこがれることはあっても、結婚生活へのあこがれは今までにあっただろうか。そのあたりまえさえ、沙代子には明確ではないのだけど。

「あ、なんかごめん」

 黙っていると、天草さんは謝った。

「ううん。ご両親の仲が良いのは、うらやましいって思うよ」

 沙代子はそう言ってから、情けない表情の彼に気づいて、後悔した。

「あっ、違う。私の両親だって仲の良かったときもあるし。うらやましいっていうのは、やっかみとかじゃなくて、本当にいいなって……」

 言えば言うほど、墓穴を掘ってるみたいだ。口ごもると、ますます眉をさげる彼が、うつむけた顔をのぞき込んでくる。

「本当にごめん。俺、無神経だった」
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