失くしたあなたの物語、ここにあります
 定番のチーズケーキやメロンのタルトなど、天草さんのお母さんとふたりで一緒に作ったケーキが整然と並んでいる。

 しばらくお菓子作りから離れていたから不安だったが、合格をもらうのは難しくなかった。販売所の仕事に慣れたら、おばあさんのレシピを使って、普段作らないケーキにもチャレンジしてみようという話もしてもらえている。

「ケーキの半分はショーケースで、もう半分は冷蔵庫でいいよね?」

 まろう堂への配達は今日が初めてで、そう尋ねながら天草さんへと視線を移した沙代子は、首を傾げた。

「どうしたの?」

 天草さんが何をするでもなく、こちらをじっと見ている。好意を断られ、不服に思ってるようでもない。

「葵さんが髪をアップにしてるの、初めて見たよ」
「あ、これ? 仕事のときはいつもこんな感じだよ。変?」

 なんだ、そんなことか。と、沙代子は髪を指差す。普段はおろしている腰まで伸びた髪を、今はアップしてお団子にしている。

「ううん。よく似合ってる」

 優しくほほえむから、どきりとしてしまう。見とれられてたみたいじゃないか。だからって、見とれてた? なんて冗談でも言えるはずはなく、話をそらす。

「あっ、そうだっ。この間の本、売れた?」
「落ちこぼれ魔女の本?」
「うん、そう」
「あれからまた電話があってさ、今日来るって。気になるなら、おいでよ。バイトは何時まで?」
「今日はこの配達で終わり。あとでまた来るね」

 天草さんに誘われると、ついつい入り浸ってしまうと反省しながらも、彼と楽しい時間が過ごせるのだと思うと、沙代子は心が浮き立つのを感じていた。
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