失くしたあなたの物語、ここにあります
宣言通り、アルバイトから帰宅するとすぐ、沙代子はまろう堂を訪れた。
思ったよりはやい来店だったのか、天草さんは苦笑したが、あきれているというより、楽しげだった。
彼は優しいだけでなく、包容力があるように見える。その実、沙代子は彼に弱みを見せてしまった自分を恥じていたが、その負い目さえなかったことにしてくれるような振る舞いに救われていた。
沙代子は、もはや、特等席とも言うべき、本棚の前のカウンター席に着くと、メニュー表を眺めた。
「今月のおすすめはレモンバーム?」
「そう。ローズヒップのブレンドもできるよ」
水の入ったグラスをカウンターに置いて、天草さんはそう言う。沙代子がローズヒップが好きだと言ったのを覚えていたのだろう。
「本当? じゃあ、ローズヒップのブレンドにする」
「お昼は食べた? 食べてないなら、キッシュも一緒にどうかな?」
「キッシュがあるの?」
「常連さんだけの裏メニューだよ」
そう言って、いたずらっ子のような笑顔を見せる。きっと、天草さんのまかないなのだろう。
「食べてみたい。でも、いいの?」
「葵さんほどの常連客はほかにいないからね」
「そんなに来てる?」
ひまさえあれば来てるみたい。恥ずかしくてとぼけるが、天草さんはうれしそうに笑んで、「すぐに用意するよ」とキッチンに入っていこうとする。そのときだった。まろう堂の扉が開いて女の人が入ってくる。
「すみませんっ。来るのが遅くなってしまって」
女の人は真っ先にカウンターに歩み寄ると、丁寧に頭をさげる。腰まで伸びた長い髪がするりと肩から流れ落ち、その横顔はよく見えなかったが、ひどく恐縮しているようだった。
「かまいませんよ。カウンター席にどうぞ」
天草さんは彼女を誘導したあと、本棚の横にある予約箱に視線を移し、さらに沙代子に目くばせした。
あっ、と沙代子は声にならない声をあげる。落ちこぼれ魔女の本を探していた女の人が来店したのだと気づいた。