失くしたあなたの物語、ここにあります
「水無月先生の落ちこぼれ魔女は、30年近く前に小さな出版社から自費出版で出たんです。発行部数も少なかったし、いきなり人気が出るなんてこともなかったんですけど、一部の大学生の間で話題になって、大手出版社の目に止まったんです」
「それじゃあ」
「そう、この本は自費出版の本なの。水無月先生は大手出版社からくどかれて、是非とも第二作目をってお願いされたんですけど、先生は作家になるつもりはないからって断られて。その代わり、別の方に作品を譲ってもかまわないとおっしゃったんです」

 丁寧に、そう教えてくれる。和久井さんは根が真面目な人なのだろう。

「それで、別の作家の方が続編を出したんですね」
「ええ。二作目が出るときに、この人魚の国も改編して出版されたの。多くの人が知ってるのは、そちらの方。二作目も人気で、すぐにアニメ化されて、長寿の作品になったのよ。だから、水無月先生の作品はそれほど出回ってなくて、そのいきさつを知るマニアの間では幻の作品だって言われてるの」
「お詳しいんですね。もしかして、当時、出版に関わった方をご存知なんですか?」

 まるで、見てきたかのような話だと思い、そう尋ねると、和久井さんは誇らしげに本を眺める。

「この本を書かれた先生は、当時、文学部の助教授だったんです。私は同じ大学の学生で、生徒のみんなは彼を水無月先生っていう愛称で呼んで慕ってました」
「水無月先生と交流があったんですね」
「水無月先生は私が所属してた小説サークルの会長を勤めていたの。実は、落ちこぼれ魔女は私が先生に書いてほしいってお願いして誕生した作品なんです」
「えぇ、本当ですか?」

 驚く沙代子を見て、優越そうにうなずいた彼女は、当時を思い出しているのか、懐かしげに言う。

「私、大学で児童文化学を学んでいたの。将来は子どもたちが楽しめる児童書を作りたいって夢があったわ。でも、全然うまくいかなくて、先生にお手本を見せてくださいってお願いしたの」
< 83 / 211 >

この作品をシェア

pagetop