失くしたあなたの物語、ここにあります
「葵さんですね?」

 彼女はこちらに歩み寄ると、そう尋ねてきた。

「はい」
「葵銀一さんのお嬢さん?」

 もう一度、彼女は確かめるように尋ねてくる。

「葵沙代子と言います」
「やっぱり」

 どことなく、彼女は懐かしそうな目で沙代子を眺める。

「先週、うちに来てくださってましたよね?」

 そう言うと、和久井さんは気まずそうに肩をすくめた。

「ええ、ごめんなさい、ご挨拶もせず。奥さまが出てこられたんだと思ってしまって。あとになって、あんなにお若い方なんだから、お嬢さんだったんじゃないかって気づいて」
「そんなに私は母に似てますか?」

 ほんの少し憂えながら、問う。母に似ていたくない。そう思うからこそ。

「ええ、そうね。雰囲気がとてもお若い頃のあの人にそっくり」
「そうですか……」
「さよ子さんもお墓参りに来られたんですよね。ごめんなさい。勝手にお邪魔してしまって。私はこれで失礼します」
「あのっ」

 頭を下げて立ち去ろうとする和久井さんを呼び止めた。

「何か?」
「よかったら、焼香を上げにうちに来てくれませんか?」
「ありがとうございます。でも、ご遠慮させてください。私はもう、この街には来ませんから」

 沙代子の申し出に驚いた様子だった彼女はそう言うと、緑のバッグから一冊の本を取り出す。それは、水無月銀が書いた落ちこぼれ魔女と人魚の国だった。

「これは、あなたに」
「和久井さん……」
「あなたが持っていて」

 和久井さんは沙代子の手首をそっとつかむと、上向いた手のひらに本を乗せる。

「それじゃあ」

 ふたたび頭を下げると、和久井さんは毅然と背筋を伸ばし、こちらへ背を向ける。泣くまいとするような強い背中を見送りながら、沙代子はぽつりとつぶやく。

「和久井さん、父が好きだったのかな」
「銀一さんを? どうして?」
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