失くしたあなたの物語、ここにあります
 そう言ってから、おばさんがもったいないと言ったのは、そういうことかとも思う。おばあさんのケーキを継承していくのは、沙代子ではダメなのだ。

 沙代子はうららへと視線を移す。彼女はきっとそれができる人だ。

「ローズマリーを使ったシフォンケーキを作ろうって話になってるの。うららちゃんも一緒に作る?」
「わあ、ありがとうございます。シフォンケーキはおばあちゃんが一番作ってくれたケーキなんですよ。今から楽しみですっ」

 飛び跳ねるようにして喜ぶうららは、希望に満ちた純粋な目をしている。沙代子にも、こんな目をしていた頃があっただろう。

 あの頃に戻れたら、これまで選んできた道よりも、もっと賢い選択ができるだろうか。そうしたら、今頃は自分の店が出せていたかもしれない。

 でも、それは考えても仕方のないことだ。時間は戻らないのだから、今からやり直していくしかない。

 久しぶりに、パティスリーの設計書を見直してみてもいいだろう。以前よりももっと、いいアイデアが浮かぶかもしれない。そう考え出したら、あれほど見たくなくなってしまっていた設計書をすぐにでも見たくなった。

 こんな風に前向きになれたのはいつぶりだろう。これもやっぱり、天草さんのおかげだろうか。農園のアルバイトを紹介してくれて、昔の自分を想起させるうららと引き合わせてくれた、彼の。

 天草さんの方へ視線を向けると、彼もこちらを見ていた。目が合うと、彼はふわりと笑う。

 それでいいんだよ。そう言ってくれた気がする。心を見透かされたんじゃないかとどきりとしながらも、きっと今の気持ちを口に出しても彼は背中を押してくれるだろうと、沙代子は思うのだった。
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