『人生 ラン♪ラン♪ラン♪』 ~妻と奏でるラヴソング~
 前の支社長は大阪本社の営業部長からの異動で、社内での格付けは変わらなかったが、実質左遷だった。ショックを受けた彼はその人事を恨んだ。だから、あることを決心した。それは、独立した自分の城を築くことだった。東京支社を我が物にしようと考えたのだ。
 先ず彼がやったことは、大阪から子飼いの社員を呼び寄せて自分の周りを固めることだった。昼食を食べるのも一緒、飲み会も一緒、会議のメンバーも彼らだけのことが多かった。昇給査定やボーナス査定も彼らを優遇した。優遇された彼らは一層支社長に忠誠を尽くすようになった。取り巻きと他の社員の間に溝が広がっていったのは当然のことだった。
 
 支社長派と反支社長派、支社は完全に二分された状態になった。そうこうするうちに、無気力が支社を覆い始めた。挨拶をする社員が減り、私語が増えた。仕事と関係のないネット画面を見る社員が多くなった。本社から届いた販促物が使われることもなく、そのまま放置されるようになった。重要な書類もそうでない書類も整理されず、雑然と机の上に積み重ねられるようになった。当然のごとく支社から活気が消えていった。
「本社はその事に気づかなかったのか?」
「わかりません。気づいていたのかもしれませんが……」
 旧知の社員はまた口を濁した。言いにくそうだった。今度もわたしは待った。強制して口を割らせるようなことはしたくなかった。
「ここだけの話にしてくださいね」
 念を押すようにわたしを見つめたので、〈信用してくれ〉と伝えるために大きく頷いた。それを見て覚悟を決めたのか、その時の状況を話し始めた。 

 東京支社を管轄する本社の役員は月に一度だけ支社に来ていた。来てはいたが、それはお座なりとしか言えなかった。その役員は支社には興味がなかったからだ。大事なのは本社だけだった。本社のトップの顔色を窺うことが最も大事だったのだ。
 本社のトップはワンマンとして君臨していた。自分と意を異にする役員や社員は遠ざけられ、特に、能力が高く人望が厚い役員には冷たく当たった。その結果、優秀な役員は追い出されるように他社へ移っていった。だから、東京支社を管轄する役員は本社を不在にするわけにはいかなかった。自分がいない間に何があるかわからないからだ。
 そんな状況を熟知している支社長は本社の役員が来た時に丁重にもてなした。高級レストランでの食事と高級クラブでの豪遊という社内接待を繰り返した。そして、歯の浮くようなお世辞で役員を舞い上がらせた。すると、「支社のことは全部君に任せるから」と丸投げするようになり、東京支社へのチェックは皆無になった。

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