自らを越えて
第一章 影の子の履歴

俺は空手健三郎

 俺の名前は村田建三郎。近所の者は空手建三郎と呼んでおった。この異名(あだな)は特定の誰かがつけたというわけではなく、いつの間にかそう呼ばれるものになったらしい。福岡県に本部道場を持つ京町流空手に心酔し、いっとき明けても暮れてもそれにいそしんだからだ。この流派は町方、つまり与力・同心が使う十手と沖縄に伝わる釵(さい)を両手にそれぞれ使いながら、同時に空手の手技・足技をからめるというもので、高段者が演じるその型、つまり剣舞たるや、格闘技のそれと云うよりは洗練された、文字通りなにかの舞いを見るようである。わけあって始めてその流派の川崎支部をたずねたとき、ちょうど一人の高弟がその型を演じていた。俺など視野に入らぬかのように優雅に舞うその姿に俺はいっぺんで魅了され、その場で弟子入りを申し込んだのだった。つまり門下生となったわけだ。もっとも釵や十手などを持たされるのははるか先のことで、入門当初からしばらくはもっぱら徒手、文字通りの空の手、すなわち空手の正拳突きや上下段・左右の受けを教わるばかりであった。しかし「強くなりたい」の一心で団地だった我が家の近くにあったガレ場の谷に棒を立てては正拳突きを繰り返し、果てはまだ教わってもいない廻し蹴りや横蹴りにひたすら勤しんだものだった。それゆえの異名であったわけだが、もっともそう呼ばれる以前はまったく逆の、「末成り(うらなり)」とか「ガリ勉村田」とか、180度ちがう異名をつけられていた。一人の人間で二つも三つも異名をつけられることがあるが、しかしその場合でもそれらはおおむね似たり寄ったりで、まず俺のような場合は非常にめずらしいのではないか。ではどうしてそんなことになったのか。実はそれを述べ行くことでこの小説のプロローグとしたいのである。それを以下に記し行こう。
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