自らを越えて

カナに打(ぶ)たれそうになる村田君

しかしそれへ、こちらも額に青筋を立てたカナが立ち上がって、云い返すよりも何よりも、遮二無二(しゃにむに)男に向かって行こうとするのを大伴さんが懸命に止める。「カナ!いいから!おとなしくして!…」さらに「ミカ、村田君、カナを抑えていて」と要請する。ミカは「カナ…」と呼びかけてからカナにすがるが俺は何もしないで…いや、出来ないでいる。俺が抑えようものならカナの怒りは倍加するだろうからだった。カナをミカに託してから大伴さんは男に向き直り深々と首(こうべ)を垂れて、謝って見せた。
「どうも申しわけありません。(カナとミカを指してから)この子たちはまだ分別の効かない娘盛りでして、なんでも笑ってしまうのです。あの…それこそ葉っぱが木から落ちても笑ってしまうような塩梅で…へへへ」と照れ笑いをし男の剣幕を抑えようとする。男はこの時始めて大伴さんの美貌に気づいたような表情(かお)をし、同時に自分を上回るような、ちょっと異常とも思えるほどのカナの剣幕にたじたじともしたようだ。またこちらも改めて思い出したかのように男である俺の存在を警戒する表情をもして見せた。それやこれやでさきほどの俺同様毒気を抜かれたがごとくに「…ま、あんたがそう云うんなら、お、俺だって別にいいんだ。その…あ、あの子たちに少しは礼儀を弁えるよう云っといてくれよ」と云い残して立ち去ろうとする。しかしカナが「うるせえ!」と吼え「てめえ…」と啖呵を切るか、あるいは打ちかかろうとさえしてしまう。俺は思わず立ち上がってカナの左腕を抑え「カナさん!止めるんだ!」とこれを制した。大伴さんにこれ以上負担が、迷惑がかかることに堪えられなかったのだ。だが「お前は黙ってろ!」と云いざま空いている方の右手で俺の頬を叩(はた)こうとする。その刹那「止めっ!」大伴さんが高校時代のバレー部で鍛錬したものだろうか絶妙のタイミングと気迫でもってカナを制した。打たれるだろうことを覚悟した俺がむしろそちらに肝を冷やすほどの、それは喝にも似た、凄いものだった。
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