自らを越えて

思考が錯綜する村田君

それに「いいよ。わかってるよ」と妹分を気遣うがしかし大伴さんは「しかしカナ、おめえもホント、気が短いな。ええ?いま流行の緋牡丹お竜(注:この小説は1968年の設定です)じゃないんだからさ、いい加減にしろよ」と諫めてもみせる。「緋牡丹お竜」の言葉に思わず口元を弛めるカナに「いったいどっちが強いのよ、あんたとお竜さんとさ。ええ?」と微笑みながらさらに聞くと「知らねえよ」とついに一瞬でもカナが吹き出した。それを見取ってから今度は「村田君、気にしちゃダメよ。緋牡丹お竜なんかより姿三四郎の方がずっと強いんだから。ねえ?」とうつむく俺に下から覗き込むようにして言葉をかけてくれる。川崎・蟹ヶ谷のバス停における「それともあれかな、女こわい?」と同じパターンだ。その時同様思わず失笑してしまう俺だったがしかし正直それでだいぶ救われた気がする。カナに〝お前呼ばわり〟されて、脅されて、さらに殴られそうにさえなって、本当に格好(かっこ)悪いことだと、心中で居場所もないくらいに沈んでいたからだ。3人とのこの道行きの途次で何回も味わった『もうもう、嫌だ。俺は嫌われている、嫌がられている。もうすべてを投げ出して1人で行ってしまいたい』のパターンにまたもやはまっていたからである。
「ね。村田君。こんなことで投げ出しちゃダメよ。私たちとのつながりを切っちゃダメ。いい?いまの男の人にずいぶんくやしい思いをしたみたいだけど、それだったらなおさら投げ出したらダメよ。あの男の横槍に負けたことになっちゃう。ね?」「はい、大丈夫です」と小声で答えたが、しかしそれにしてもなぜ俺が男にくやしい思いをしたことまでわかるのか、それが不思議だった。きっと、人が抱く強い気持ちというものは思っている以上に顔に出るのだろうな。しかしもしそうだったらカナに脅されて俺の面目が丸つぶれとなり、超落ち込んだこともわかった筈だ。それについて大伴さんはいったいどう感じたのか?
< 110 / 116 >

この作品をシェア

pagetop