自らを越えて
スケープゴートになっちゃった
あの一件のあと花田グループが俺を詰ることはなかった。それどころか俺と目を合わせようともせず完全に俺を無視していた。揶揄い癖が強いミユキなどは尚も俺を嘲笑したがっているようにも見えたが感心にシカトを守っている。思うに花田がすべてを仕切ったのだろう。反発も出来ない者をこれ以上追い詰めるな、詰るなとでも。なるほど人の上に立つだけのことはある、親分肌の生徒ではあった。今に通じるイジメに走ることはないし、廻りにもさせなかったのだろう。それは大いに助かったが俺にしてみれば唯一の拠(よりどころ)にしていた価値観(成績さえ優秀ならば皆から認められるという価値観)に信頼が置けなくなって、そしてその他には何も拠るものがなかったので、途方に暮れながらも、且つ腑抜けの様になりながらも毎日登校するしかなかった。出来るだけ遅く登校して来ては終日ムスーと机にかじりつき、終業のチャイムとともにまた黙々と家路に着く。その繰り返しだった。誰も話しかけて来ないし俺から会話を求めることも絶無。その苦しいことに限りはなかったが致し方なかった。ところで突然変な例を引いて恐縮だが諸君は自家感作症という言葉をご存知だろうか?これは皮膚病の病名の一つで自己中毒症と置き替えられるべきものだ。肢体のどこかにひどい出来物があったとして、そこを掻きむしるとその部位の毒素が全身に廻るような塩梅でもって、全身に小さなブツブツが現れそこらここらを掻きむしるといった症状で、その痒さといったらないそうだ。で、云いたいのは、俺のこの孤独癖がこれに近いのではないかということである。すなわち必要以上に皆の目に見える自分(の姿)というものを意識してしまう自己中毒的性癖を云うのだが。具体的には、いま俺は皆の目にどう写っているのか、このしゃべり方ではみっともなくないか。この仕草はダサくないか…等々で、これが俗に云う相手を疲れさせる症候群であるような気がするのだ。「このイモっ」か、文字通り「このつっかれる野郎」てな具合いで、暗黙のうちに皆から浮き上がってしまい、同時に皆のスケープゴートにされてしまうようだった。「こいつがいるから俺が(私が)浮くことはない」という安全パイにされてしまっているとも思える。そしてそうなったらそうなったで今度は『そんなことは俺はまったく気にしない』とばかりに却って依怙地になって、ますますその役どころにはまってしまうのである。気にしないどころか、この孤独地獄に俺はほとんど発狂しそうなのだが…。