自らを越えて

貝のような子

異名が変わるころ、すなわち俺が16才のころに俺は急にグレ出した。とは云っても街のチンピラのように髪に剃りを入れたり茶髪にしたりといった類のことではない。いやしくも「ガリ勉村田」と呼ばれた手前、グレるにしてもずいぶんと‘学及的’にグレたものである。一応川崎市内の進学校に在籍していた俺はグレるまでは以前の異名通りであったのだが、そのころ連続して起こったある二つの出来事を境にしてその異名を変えることとなった。ではいったいなにが起こったのか、逐一記さねばならないが、しかしその前に、どうして俺がかくもガリ勉にいそしんだのか、まずそれから記す必要がある。俺には軍隊上がりの怖い父親やら家庭の事情やらというものがあって、その影響で小学校までの俺は至っておとなしく、いまで云うニート的な男の子であった。学校では表に出て同級生たちと遊ぶこともせず、もっぱら机にかじりついているばかり、どうかすれば女の子からさえからかわれるような存在だった。家に帰ってからも近所の同年輩のやつらと遊ぶことはなく、ともだちと云ったら近所のノラ猫やノラ犬だった。声帯模写と云うか猫や犬の鳴き声をまねるのが自分で云うのもなんだが非常に巧みで、そのせいか猫や犬がよくなついた。人間とつきあうよりもそちらの方がよほど具合がよかったのだ。ものごころついてからはこんどは読書に親しみ出した。「シートン動物記」やら「十五少年漂流記」などを学校の図書室から借りて来ては夢中になって読んだ。当時の三種の神器で父親が買って来てくれたテレビが我が家に入ってからはニッサンテレビ名画座など欧米系の番組に夢中になる。視力が落ちることなど知らずに読書にテレビに、表に出てはあいも変わらず猫や犬にと、肝心の人づき合いはほとんどしない子供だった。そんな塩梅だったから同級生たちはもっぱら俺にとっては脅威で、男の子からも女の子からもからかわれたりいじめられたりしないよう、教室では貝のように固まって自らをガードしていた。
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