自らを越えて

図書館に入り浸り

 さてその頃から俺は学校終了後にまっすぐ家へ帰らずに某所に立ち寄るようになった。某所とは市立図書館のことで武蔵小杉駅のすぐ近くにあった(位置は変わったが現在でもある)。きっかけはちっともはかどらない受験勉強を自らに無理強いするため…だったのは間違いないのだが、しかし幾許もなく現実は違ってしまった。いくら場所を変えようとも教科書や参考書に数ページ目を通す内にすぐに気力が萎え、どうかすると眠気まで差して来る始末。いったいこのザマは…と訝しむことしきりでまったく合点が行かない。その代わり場所柄当然ながら万種の蔵書が廻りにはあって、その一画に頻繁に立ち寄っては目を通す書群があった…。
 その前に…ここでちょっと失礼。度々お呼びかけして恐縮だが諸君らには次のような経験はないか?すなわち書店などに寄った際にいつの間にかある特定の本を手にしていたというような経験が。「特定の」とは「あなたにとって」という意味で、その本がいずれ強い影響と示唆をあなたの生き方に及ぼすことになる、ということだ。また逆にある種の本を手にした途端今度はなぜか眠気が差してくるという経験はないか?俺に云わせれば決して一概には云えないだろうが、前々章に記した守護・指導霊、もしくは悪霊の類の為せる業ではないかと思う次第なのである。その所以は覚えておいていただきたいが「人間というものは自分が思っている以上に〝何者かに操られている存在〟である」からだ。筆を認めているこの高校生時分から遙かな時を隔てた今だからこそ、得て来た体験からして、確信を込めて云えることなのだ、これは。何者かとは既に諸君には想像が付かれようが今は言明すまい。この小説の進行と共にやがてつまびらかにして行こう。決して異次元なる守護・指導霊だけとはそれは限らないのだ…。おっと、悪い癖が出た。俺は高校生、高校生…失敬、失敬。
 で、話を戻すがその殆ど無意識の内に立ち寄ってしまう図書館の一画とは詩のコーナーで、分けても邦書よりは洋書、就中フランス象徴派詩人たちの本棚、さらに就中アルチュール・ランボーの著作が置いてある一画のことだった。受験の参考書などは放ったらかして、いつの間にか、操られるようにその一画へと俺は足を運んでいて、むさぼるようにランボーの詩編やそれら〝悪魔派〟の詩編を読み漁っていた。
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