自らを越えて
第四章 悪夢
お前が女になればよかったのよ
高校二年の終り頃になるとさすがの俺も黒い霧云々などとは云っておれなくなった。ナッシング・トゥ・ドゥの〝怠りのベール〟に惰眠を貪ることも最早ならず、またかの算命占星学で云う風閣星のノンビリ性を腹に持つ(※〝胸に抱く〟ではなく〝腹に持つ〟。なぜなら人体星図の胸の主星は「龍高星・放浪とさすらいの星」だったのであり、腹部の従星が「風閣星」だったから。しかもこの星は俺の人体星図の他の箇所にもう一つ出ていて、意味するところは相当のノンビリ屋で、大まかな神経の持ち主ということになる。女優の左幸子がこの星を主星の胸に抱く)俺であっても、将来の進路を明確にせねばならなくなって来た。進学か就職か、前者なら国公立か私立か…尤も我が家は裕福ではなく私立は元よりダメ、すれば就職か国公立となるのだが、大手トラックメーカーの運転手として俺や姉を育ててくれた親父が、どうしても俺を大学に行かせたがっていたのだ。自らは此れと云う学歴がなく、その面で辛酸を舐めた経験からも、また島の親戚連中に自慢したいということもあったのである。しかしそれだったら俺なんぞよりは遙かに優秀だった姉をこそ進学させるべきだったのだが、如何せん此方では至って古い考えの持ち主で、女に教育は必要ないの一点張りで譲らないのだった。然るべき時期に姉が一度親父とやり合ったことがある。すなわち中学時に担任の先生から「是非に」と勧められた県立川崎高校への進学を姉が希望するのに、父は商業高校への進学とその後の就職を命令して譲らなかった。俺の目の前で二人は激しく遣り合い、父から叩かれても姉は泣きながら食い下がったのだがついに望みは果たせなかった。聞き入れられていれば姉の能力・資質から見て彼女の人生は大きく違ったものとなっていただろう。その当時奇しくも姉は俺にこう云ったものである。「建三郎、お前が女に生まれればよかったんだ。おとなしくってケンカひとつ出来やしないんだから…。ああ、あたしが男として生まれていたら!あたしとお前で、神様がきっと男と女を間違えたのよ!」と。