自らを越えて

ウオォォ~!

はたしてこのまま新河に連れて行かれるのだろうか。しかしこの瞬間にさきほどの二重感覚の場面がまた戻った。いま一人の俺が忸怩たる思いで今しも消えなんとする窓の夕日を見ている。あの夕日に向かって若い俺はどこまでも駆けて行きたい。夕日に象徴された大いなるものの中へ馳せ参じたい。女子の田辺さんや矢内さんでさえ粛々とあの光の元へと歩んでいるのではないのか…。そう念じると、うっ屈しうっ積した想いを押しのけて怒りにも似た感情が俺の胸の奥から湧き起こって来、そして俺を突き動かした。階段の降り口にもどった俺は下の暗闇を挑むように睨みつけ、続いてこぶしを握った両腕を肩で猛烈にまわしながら、大声を発して階段を駆け下りて行った。「ウオォォ~!…」。

 以上が登山決行前に見た悪夢だったのであり、これをして躊躇するという我が悪癖を払いのけた次第。
「(お前の実態がどんなだか)わかっただろう?」とする新河の亡霊の示唆に、肌感覚をさえ凌駕する〝霊感覚〟でもって我が身の実態を、すなわち死んだように生きている毎日の実態を、いやもっと有り体に云えば「死そのものの実体」をさえ垣間見た俺にとって、もはや躊躇はなかった。今の自分ののっぴきならぬ状態が的確に判ったということである。ところで本人を殺してしまうことになるので付け加えておくが新河は自殺はおろか現実には死んでなどおらず、毎日ピンシャンとして高校生活を勤しんでいる。それがあのシチュエーションで夢に出たということは前出の彼との一件がいかに俺に傷心を催させたかということなのだろう。とにかく、かくして丹沢登山への腹は決まった。
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