自らを越えて
第五章 マドンナ、大伴朗子(おおともあきこ)

清浄な朝の光の中

 1968年9月22日日曜日の早朝、まだ寝静まっている家族を起こさないようにして俺は川崎市高津区にある自宅の団地を出た。時刻は6時ちょっと前、西脇順三郎の詩「天気」に綴られた〝覆された宝石のような朝の光〟がさす中を、前の晩に準備万端整えたおむすび型のリュックを背負って軽快に歩き出す。この2百メートルほど先にある東急バスのバス停へ向かうのだが、いつもとは違うキャラバンシューズを履いた足裏の感覚がいやがうえにも高揚感を誘う。俺の今日の登山ルートは丹沢主脈縦走と予め決めていた。三の塔ルートから表尾根に出て、塔ノ岳→蛭ヶ岳→焼山と挑むのだが、ハッキリ云って縦走はかなりの健脚向けなのであり、さほどでもない俺にとっては正直云って荷が重かった。ひょっとして無理かも知れないがとにかくトライしよう、普段の意志薄弱さや躊躇癖を矯正する上でも完遂しなければならない、などと意気込んでいたのである。
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