自らを越えて

す、すいません…大伴さん!

しかし一度口にしたことを言下に否定すれば嘘つきになるし、また依怙地と云うか偏屈と云うか何と云うべきか、一度こうとしてしまったことに俺は悉皆拘泥しないところがあって、いやそれどころかそれによってもし人が(特に好きな人が)俺に失望を催すとしたら、そこに一種快感のようなものを覚える奇形的な性癖があったのだ。フロイトの神経症論研究に好餌を具すような性癖だったが、思うにこれは長年の孤独遍歴から生じたところの、他人に自分をインプットする上での哀しくも自虐的な習い性、あるいは既に快感(…?いや、敢て命名すれば哀感)原則とさえなっていた節がある。まあとにかく、要はマルドロールであったということだ。
「い、いえ、その…横浜駅で友だちが待っているんで(嘘、友人など一人もいない!)…やっぱり駄目なんです。せ、せっかく誘ってもらったのに、す、すいません!」そう云い切ったところで左側から坂を上って来る綱島行きのバスが見えた。「あ、バスが…」と一言云い残し大伴さんに一礼したあと俺はバスの直前に近いタイミングで道を横切り向こう側のバス停に走って行った。
「あぶねー、あいつ」「まったくイヤな野郎!」ミカとカナがそれぞれ餞別の言葉を送ってよこした。大伴さんの最後の表情は確認出来なかったままに俺はバスの車掌から注意されながらも車上の人となった。窓から彼女たちの姿など見れるものではない、俺の胸の中を〝哀感原則〟のままに涙の雨が濡らしていた。このような自分の奇形的性癖を嘆いてのことか、あるいは始めて知ったマドンナ大伴朗子の温かさと厚い情のさまを思ってのことか、それはわからなかったが…。
〔※1970年頃のバスはまだツーマンで運転手と(女性)車掌がいたのです〕
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