自らを越えて

安易な丹沢縦走の放棄、しかしそれが…

なぜそうしたかというとそれは自分でも釈然としないのだが、やはり大伴さん一行との思わぬ出会いが原因だったろう。〝驚天動地〟だったマドンナ大伴さんとの出会い、のみならず会話まで出来たということが所謂〝快哉〟だったのだ、自分にとっては。興奮すると自分が分からなくなる、あるいは押さえきれなくなる(?)と云われているミスター・ジャイアンツのごとき性癖が俺にも多分にあったのだろう。俺の詠んだ拙い俳句で〝沢登りこの無上なる宮上り〟というのがあるのだが、この沢登りも実は俺はすでに何度か経験していて(ただし葛葉沢だけ)、その爽快さに句意通りの思いを抱いていたのだった。だから恐らく俺は、この心地よい沢登りにマドンナとの邂逅の喜びを合わせたかったのだろうと思う。歓びを倍加させようとする欲張りとも云えたが、まあしかし、それだけ普段の不幸がひどかった、学校での根暗ゆえの悲惨がひどかったということだ。しかしそれはともかく、このルート変更をした時点で俺はすでに丹沢縦走を諦めていたとも云える。尾根登りと沢登りとでは時間的には大差ないと思うが魂胆が沢登りの爽快さを楽しもうというのであれば、おのずから時間の浪費は目に見えていたからだ。おのれの意志薄弱さを丹沢縦走貫徹で少しでも是正しようといていたのに、この『ま、いっか』とばかり簡単に放棄してしまういい加減さは、この先の自らの人生において、はたしてどうなのだろうか…?ところで、である。この沢登りに変更したことが実はこのあと奇跡の再会を呼ぶことになろうとは、この時は悉皆気づかなかったのである。
 まだ朝霧の霞んでいる林道を右側の森林の中に幻のように浮かび上がったトーテムポールの小人たちを面白く眺めながら爽快に上って行く。このトーテムポールは近くの葛葉学園という障害児施設の子供たちが造ったものだ。来る度にいつも微笑まされる。20分くらいで葛葉沢出会いに到着した。
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