自らを越えて
深い霧の中から…
そこには殆ど廃屋のようになった山小屋があるのだが今は殆ど誰も利用していないようだ(※現在は跡形もない)。しかしこの小屋が目印でこの地点が葛葉川沢登りのスタート地点となる。登り始める前に林道をちょっと上ったところに湧き水が出るところがあってその水を空の水筒に入れていく(※現在は葛葉名水スポットと銘打っていて多くの人たちが車でやって来ては空のポリタンクに汲んでいく。看板まである)。この水は山肌の地下水が湧き出たもので冷たく、とても美味しい。丹沢登山をする時はいつもここで水を調達しているのだった。それを2リットル入りのペットボトルに入れスタート地点へと戻って行く。〝霞たなびきわたるも〟とでも古風に表現したいような今朝の丹沢ふもとの霧模様だ。元々朝方(特に早朝)は霧のかかりやすいところだが今朝はその度合いがやや強い。登山者に遭遇するとしてもよほど近づかない限りそれと分からぬ有り様だった。そのような林道を下から上って来る人影があった。『ちぇ、挨拶しなきゃな』と心中で億劫がる。登山においては途中で行き交う登山者同士で「こんにちは」と挨拶を交わすのが習わしだったのだ。上り勾配だったこともあるが現れた人は顔を下にうつむき加減にして上って来る。男だか女だかまだよくわからない。10メートルくらいになってカドミウムイエローのヤッケとGパンと思しき姿が判別できたが同時にドキンと胸が鳴った。書き忘れたが実は川崎のバス停で遭遇した折りのマドンナ大伴さんの服装がその黄ヤッケとGパン姿だったのだ。まさか…と思う内に折りしも左の林の上から朝の光芒がその人物に差し、一陣の風が魔法のように吹いて来て霧を追い払った。