自らを越えて
マドンナとの再会
こちらの気配に顔を上げたその人物も俺に気づいたようだ。「あーら、村田君じゃないの。これは快哉、快哉」と満面に笑顔を浮かべてくれる。その美しい顔に、掛けられた言葉に、俺は端なくも膝から力が抜け、恭順するがごとくに彼女の懐に飛び込んで行きそうになる。情けない例えだが表で散々いじめられた子供が母に駆け寄り、庇護と癒しを求めるがごとし。大伴さんに差した朝の光芒が俺の固く閉じた胸中にも差し込んでくるような塩梅で一種逆らい難いものだった。しかし無論そんなことが現実にできる分けがなく、それどころか「STOP!他人は、人間は信用できない。花田や新河を忘れたか?彼女だっていつ豹変するかわからないぞ」という心中の黒い霧の語り掛けに耳を傾ける始末だ。どう返事していいかわからず言葉を失っていると、はたして大伴さんからやや離れた背後の霧中から「あいつだよ、カナ。また会っちまったみたいだぜ」「うっへー」とか云う小声が〝俺の黒い霧〟に呼応するかのように伝わって来た。まさに霧と霧の協同である。しかし数瞬間を置いてもはや仕方ないと諦めたか「ジャーン!ミカだよーん!」と俺を驚かすようにミカが大伴さんの背後から飛び出して来「村田氏(うじ)、どう?また私たちと会えて嬉しい?」などとあけすけに訊いてニコッとし、またカナが「うーすっ。また会ったじゃん」とこちらはむっつり顔で云いながらのっそりと出て来た。「ところで大伴さん、快哉ってなんですか?」ミカが訊くのに「よきかな、よきかな。痛快で楽しいということよ。どうなの?ミカは。村田君に訊くのもいいけどあなたも快哉…なんでしょ?」と快哉を強要するような大伴さんに「へ、へい、へい。もち快哉でごんす」と返したがもう一人のカナにはこちらは尋ねるべくもない。表情が不快哉そのものを物語っている。