自らを越えて

上等じゃねえか

「ああ、そう。よかった。それじゃ村田君、あそこの沢のとっつき辺りでカナとミカと一緒に待ってて。ね?(2人に顔を向けて)カナとミカ、村田君に付いて行って。わたしあそこの丹沢の名水をペットボトルに汲んでくるから」と云い残して大伴さんは水汲み場に行ってしまう。思わぬ展開に俺は生唾をグッと飲み込んでカナとミカを見やる。どう声を掛けようか。俺はどもりながら「じゃっ…じゃ、カナさんとミカさん。あ、あっち行って、ま、ま、待ってましょう。あ、あの、シダの葉の生い茂っているところ」と彼処を指差してみせる。「何?あっち行こうだ?…あたしたちに指図するとは上等じゃねえかよ」とでも云いたげにカナが眼付けする。ミカは半笑い顔を浮かべて面白げに俺を見るだけ。指差した手を挙げたままフリーズするしかない俺に「いいよ。行こうじゃん」とカナがようやく云ってくれて、ほら行けよとばかり首をふってくれた。俺はぎこちない足取りで2人に先導して沢のとっかかり場所まで行き、あとは馬鹿のようにボーっと突っ立ってるだけ。「沢の入口ってどこよ?」とカナ。その場所はシダの葉が生い茂り下を流れる渓流さえ見えない薄暗いところだ。大きな鬼蜘蛛があっちこっちに巣を張っている。「はい。だから、ここ…」と俺は申しわけなさそうにそこを指差す。「えーっ?ここ?ここを入って行くの?蜘蛛だらけじゃん。あたし、嫌だーっ!」とミカが絶叫気味に云う。確かにここを、鬼蜘蛛の巣を掻き分けて、シダの葉の下を潜るように入って行くのは、慣れない人であれば二の足、三の足を踏むだろう。しかしこの先の開けた沢の景色を、あたかも自然の宮殿のごとき渓谷のパノラマを知っている我が身であったれば躊躇することはないのだが、しかしそれをミカに云い聞かすことなど俺には出来ない。
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