自らを越えて
えっ?草鞋(わらじ)なし?!
カナはと云うとあの「上等じゃねえか」と云わんばかりの不敵な笑顔を浮かべてとっかかりを見詰めている。根性がありそうで怖がる様子など全然ない。いったいどういう子なのだろう?半グレのようにも見えるし、だったら俺には一番苦手の部類に入る。この先の道中が思いやられるがしかし何よりかにより、あのマドンナとの同行である。カナなど何程のことやあると払拭する俺だった。そのマドンナ大伴さんが水を汲み終わってこちらへとやって来た。「誰?〝嫌だーっ〟とか絶叫してたの」「あたし。だって大伴さん、これ、これ」と云って気味悪げにミカが鬼蜘蛛を指差す。「だいじょうぶよ。手で掃えば逃げて行くから。それにこの先はこんなに狭くはないわよ。爽快な渓谷の景色が開けているのよ。さ、その辺の岩に腰掛けて持って来た地下足袋と草鞋に履き替えて」と膠(にべ)もない。しかし俺はこれを聞いて『あ痛っ…』と心中で絶句するほかなかった。やはり彼女たちは地下足袋と草鞋を持参していたのだ。これでは先に危惧した通りの展開となりそうである。それとも知らず3人はてんでに適当な場所を選んでリュックをおろし中から地下足袋と草鞋を取り出した。大伴さんがジーンズの裾を大きくたくし上げ真っ白な下腿をあらわにして地下足袋を履き始める。カナとミカもその大伴さんの仕草を見ながらいかにも不慣れな様子で履き始める。その様子からしてこの2人は山登りはともかく沢登りは初心者のようだ。地下足袋の上の方からホックをはめようとするミカに「ミカ。違う、違う。足袋のホックは下から」と注意したあとで「あれ?村田君、どうしたの?草鞋履かないの?」とボーっと立っているままの俺に大伴さんが聞いてくる。「はい。そのう…すいません。持って来てないんです。草鞋」と云うほかはない。「えーっ?草鞋なし?ほんと?…うーん、それは困ったわね。キャラバンシューズのままじゃ危ないでしょ?」としばし手を止めて俺を見ながら黙考するようだ。俺は強がるしかなかった。