自らを越えて

軽快に沢を登って行く

「そう?だいじょぶかな…じゃゆっくりでいいからね」そう云って諾を与えながらも滝の縁まで寄って来て腰をかがめ俺が滑落しそうなら手を伸ばしてこれを支えようする大伴さん。万が一にもそんなことを大伴さんにさせる分けには行かじとばかり、俺は必要以上にホールドと足掛かりに気を付けながらしかし難なくF1を制してみせた。「さっすが」持ち上げる大伴さんに『なんの、これしき…』という表情をしてみせる。実際この通りのことでこのF1程度の滝なら誰であってもどうということはないのだ(だいたいこの初心者用の沢である葛葉沢全体がそうなのだが)。問題はこの先の大平橋を過ぎたあとのF7,F8,F9などの滝群やラストの富士形の滝なのであり、草鞋履きならこちらも全然意に介さないのだがこのキャラバンシューズでは些かでも思いやられた。まさか巻き道を行くとは云えないし…。
 さてしかし、このF1の結果を見ていまの順番すなわち俺、カナ、ミカ、大伴さんの順を保つこととなった。これは蓋し俺が沢登りの経験者であることを大伴さんが認めてくれたからだろう。これに応えるべくこのあと俺は、F2横向の滝を滝横の右岸から登り、F3・5Mの幅広の滝も左側ルンゼ状の窪みから難なく登り、5M平岩ノ滝はその滝右にある階段状の平岩をトントンと上がってみせ、F5A形の滝は左から巻き気味に行き、左より枝沢が流入する4M滝ではミカの二の舞いを演じぬよう三点ホールドに気をつかったが、F5板立ノ滝では右側のルンゼ状の窪みをすばやく選んでみせたりで、畢竟うしろの3人を快適に先導してみせた。この間にいつの間にか隊列はいちいち滝の前で止まったりせずに、適度な間隔を保っての、スムーズな形となっていた。唯一ミカのカバーに大伴さんが気を使い続けてはいたが。「よーし、村田君!ここらで休憩しましょう!」F5板立ノ滝を過ぎて谷が広くなった景色のいい辺りでうしろから大伴さんの声が掛かる。些かでも覚え始めていた疲労と緊張をほぐすグッドタイミングだ。
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